2012年12月26日水曜日

炭焼き準備終わる ・・・

 
年が明けてからの炭焼きの準備が大方終わった。写真のように、見事にクヌギの伐採が終わり、伐採されたクヌギは玉切りや枝打ちされ、その長さを80㎝程度に揃えられる。そして、太さ毎に区分けされ、炭材となる窯木として積み上げられる。山に積み上げた分と併せて、ほぼ3回分の炭焼きができるくらいの量が確保できたであろうか ・・・。

 伐採された斜面や積み上げられた窯木を見て、美しいと感じてしまうのは、私がもう十分と山に馴染み、山の手入れや炭焼きから離れられなくなった証拠である。殆ど炭焼きの準備が終わった。後は年が明け、本番を待つばかりである。
  
  

2012年12月14日金曜日

ちゃんと学ぶ事も大切と知る

 (写真;私が遊ばせてもらっている一庫公園の知明山とダム湖)
里山の調査と管理の手法を学ぶ2回目の講義と実習を受けた。我々ボランティアが、森の手入れと称して遊ばせてもらっている、かっての里山での実践学習である。ボランティアとしてずっと森の手入れをしてきたが、その理念、目的、手法といった面に関しては、理論的にはっきり確立したものがなく、今のやり方で森の手入れを続けていくならば、きちっと筋立てしたいと思って、公園にお願いして開いてもらった講座である。


 前回は、里山に関するおさらいと「植生調査」の実習。手入れがまだされていない林の中に、10m×10m=100㎡の区域を設定し、その中に生育している木の種類、数を調査するのである。その結果分かったことは、「ヒサカキ」が多く、林内は暗く、生育している木の種類が少ない。照葉樹林化しているため、このまま放置すると夏緑樹がほとんど消滅してしまうのではという日頃漠と感じていることが、データ―でも裏付けられた。そして、我々が手入れをしている里山森の手入れの方向性である、「コナラ」や「アベマキ」、「ネジキ」など夏緑樹の高木を保全し、種多様性や景観を阻害する照葉樹、ツル植物などを伐採するという、いわゆる「兵庫方式」が里山保全の方法として、間違っていないということも確認できた。

 そして今回は、先に設定した区域内の照葉樹、ツル植物などを皆伐するという作業。ヒサカキ125本、アセビ16本、ソヨゴ2本、イヌツゲ4本などを伐採した。上の写真は、伐採後、木漏れ日が地面まで差し込むようになり、すっかり明るくなった設定区域である。そして、1年後あるいは2年後、5年後、この区域にどれだけ新しい種が芽生え、森の様相がどのように変化するのか、ふたたび調査して手入れの効果を確認する予定である。やはり、このように、ちゃんと学ぶ事が大切で、そのことが今やっていることの方向性の正しさを裏付けるという共通認識を持つことができたいい機会であった。

 伐採した「ソヨゴ」のてっぺんには、何の鳥が分からないが、放棄された鳥の巣跡が ・・・。そんな発見もあって、今回の学習も楽しく終えることができた。
  
  

2012年12月10日月曜日

クヌギ伐採、炭の原木づくり始まる


 いよいよ菊炭の材料となるクヌギの伐採が始まった。我々が焼く炭は備長炭に代表される「白炭」ではなく、「黒炭」。昔からこの北摂地域の名産品の「菊炭=一庫炭あるいは池田炭」である。クヌギを原木としたこの黒炭は、切り口がちょうど菊のように見え、美しいので「菊炭」とよばれ、また火付きや火持ちがよく、煙も出ず、弾けることもなく静かに燃えるので、茶の湯の席では「太閤秀吉」の時代からずっと今まで重用されているという。かっては多くあった炭焼き農家も、時代の流れとともに少なくなり、今ではこの近辺では1軒だけが炭焼きを生業としているのみである。そして、ダム建設によって放棄されたクヌギ林の里山を、再生林として手入れをし、口幅ったいが、「炭焼き技術の伝承」と称して、我々ボランティアが中心となって、毎年1月から2月に炭を焼いているのである。

 そのクヌギの伐採が始まったのである。先輩たちが炭を焼き始めてから約10年ほど経つが、まだ再生林の台場クヌギは、その再生サイクルが完結していないため、今年も樹齢数10年を超える太いクヌギを伐採しなければならない。そのため伐採はプロにお願いし、玉切りした原木(窯木)の処理の段階から我々ボランティアの仕事が始まるのである。3人のプロがチェーン・ソーによる伐採。鮮やかなものである。見事、あっという間に予定の30本ほどのクヌギが伐採された。さて、これからは、玉切りされたこの窯木を下まで降ろし、太さ毎に選別し、枝は枝で窯木や「バイタ(木の枝や木切れ、たきぎ)」づくりをするという、時間と人手がかかる我々の仕事が待っているのである。さあ、本格始動だ!!

  

2012年11月28日水曜日

炭焼き始動 !


1月からの炭焼きに向けての活動がスタートした。炭焼き計画の立案、スケジューリング、炭焼き窯の補修、整備と炭焼き準備を進めてきたが、いよいよ具体作業がスタート。

  まずは炭の材料になるクヌギを伐採する作業が順調にはかどるための林床整備という伐採準備作業から始める。台場クヌギは伐採しても、残った切り株から芽が吹き出し、8~10年位で再び炭材としてちょうど手ごろな太さに成長する。そんな台場クヌギの特徴から、長期的な計画に従って、伐採エリアを決めて8~10年サイクルで伐採を繰り返していくのである。一般的には皆伐、決められたエリアの木はすべて伐採してしまうのであるが、ここは公園のため、当然残しておかなければならない木もある。クヌギの伐採作業そのものはプロに委託するのであるが、伐採前にどの木を切るのか、どの木を残すのかを決めて、マーキングするとともに、伐採しやすいように細い雑木などを伐って、林床整備を行う。

 急斜面での結構大変な作業であるが、10人の山の手入れのボランティア仲間が打ち揃ってのスタートである。安全帽(ヘルメット)を被り、腰に手入れ道具の帯を締めれば、いざ出陣、いやがうえにも気合が入るというもの。これからほぼ3ヶ月炭焼き三昧の日々が続く。
  
  

2012年10月19日金曜日

鳴く鹿の ・・・

(写真;炭焼き窯跡の前で)

 今日も小学1年生の自然体験学習のお手伝い。メニューは前回と同じウォーク・ラリー。この時期に実をつける木の名前や、この山に住む動物、昔里山として利用していたころの炭焼き窯の跡を探したり、どんぐりを採集するというメニュー。それは、無事終わったが、実感として、考えさせられたことがあった。前回は大規模住宅団地にある小学校1,2年生で165名、今回は大阪北部、農村地域にある小学校の1年生で、3校合わせてもたったの23名。農村の過疎化と少子化の実態が顕著に顕れているのである。この地域は隣接していて車で走れば、10分か15分の距離なのである。ずっと前から言われているように、農業問題、過疎化問題、都市問題、少子高齢化、地方分権 ・・・ 全てが根っこで繋がっている政党を超えた政治課題。早く政治が動かねば ・・・。この子たちの未来なくして、国の繁栄などあり得ない。前夜見たIMF専務理事ラガルドさんがでていたNHK「クローズアップ現代」に共感。

 しかし、爺さんの心配なぞよそに、子供たちは元気である。前回の住宅団地の子供たちより、間違いなく逞しかった。そして、きょうもまた、「生」鹿が、子連れと思われる3頭で、我々を迎えてくれた。しばらくの間、こっちをじっと見ていたが、「ピュイ~」と一声鳴き、警戒音を発すると、森の奥へと消えていった。

  奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき   (よみ人知らず 『古今集』から)
   
  

2012年10月16日火曜日

炭焼きの準備を始める

(写真は補修前の炭焼き窯)


 炭焼きの季節が近づいてきた。年が明ければ、炭焼きが始まる。「えっ、もうこんなに早くから準備するのか?」と言われれば、「イエス」である。12月の初めには、炭の材料となる「クヌギ」や「コナラ」を伐採し、一定の長さに切りそろえ、山から降ろして、しばらく乾燥させるという「窯木づくり」という材料の準備を終えなくてはならない。そしてその前には、伐る木、伐らない木の選別、それとクヌギ林の林床整備を行わなくてはならない。こうやって逆算していくと、10月には実行計画の立案、11月からは作業の開始というスケジュールになってしまのである。そしてもう一つ大事な作業が、炭焼き窯の点検と補修である。何せ1年のうち、2か月だけしか炭焼きはせず、後は放置されているのである。しかも、炭焼きの時、窯の中の温度は800度とか1000度近くにさらされるのだ。当然メンテが必要なのは言うまでもない。ちゃんとメンテすれば、窯は100年持つといわれている。


 半年ぶりに窯内に入ってみた。この窯ができたのは10年ほど前である。窯の壁はこの山の赤土、いわゆる粘土で作られているが、10年もの使用でだいぶ壁が剥がれてきている。山から赤土を掘って運び、それを篩(ふるい)にかけて細かくし、少量のセメントと水を加え、こねる。それを壁の剥がれた箇所に埋め、鏝(こて)で丁寧に仕上げていく。立つこともままならない狭い窯の中の作業である。約1時間の作業を終えるともう膝はガクガクの有様。外壁部の石組みや頭頂部の補強、窯口周辺の補修も無事に済み、後は養生をして、炭を焼く日を待つばかりである。

 この地域は、太閤秀吉の時代から、茶の湯に使われる最高級の黒炭、「菊炭」の産出地として有名である。炭を使う生活や文化が段々すたれていく中で、遊びの山のクヌギ再生林を手入れし、菊炭を焼く技術を伝承していくのが我々ボランティアグループの活動の目的の一つとなっている。これだけの苦労を掛けて補修したのである。いい菊炭が焼けてもらわないと困るのである。我がボランティア・グループの一大行事、里山文化である「菊炭を焼く技術の伝承」として行っている炭焼きの準備の一つを終え、炭焼きの季節へスタートを切る。
  

2012年10月11日木曜日

癒しの子供たち


 今日は我が山遊びの公園で、始まった秋の「自然体験学習」のサポート。兵庫県では、主に小学校3,4年生を対象に、「地域の人々の協力を得ながら、田畑や里山、水辺や地域の自然での体験活動等を通じて、自らが自然の一員であることを学ぶ」という「自然体験学習」を実施しているが、気候の良い春につづいて、秋の活動が始まったのである。今回は、近くにある小学校1,2年生4クラス。160名を超える大勢の子供たちを迎えてのサポート。ダム湖畔の駐車場までバスを迎えに行き、そこから公園まで350段を超える階段を昇ってゆく。ちょっぴり心配な半年前までは幼稚園生だった1年生。そして都会の平地にある学校だと何人かの脱落者が出るのであるが、さすが坂の上にある学校、毎日の登校で鍛えられているらしく、一人も遅れることはなく上った。むしろ、日ごろの運動不足は先生の方で、相当あえいでいた様子。


 こうやって毎年いくつもの学校を見ていると、学校によって結構差があるのに気が付く。子供たちが活き活き溌剌としている学校、締まりがないというか子供達がだらけ放題の学校、あまりやる気がなく、手抜きが目立つ先生のいる学校。そして、集団に馴染めない子は、どの学校でも必ずいるし、「いじめの芽生え」に近いものもどの学校にもあるようだ。しかし、そんなことに関係なく半日、目一杯楽しんでもらうのが、我々爺さんの仕事と楽しみ。もちろん、ボランティアですが ・・・。 

 さあ、今日のウォーク・ラリーの問題メニューは、「実のなる木の名前をしらべること」、「どんぐりや色の違う葉っぱを集めること」、「昔の人が使った炭窯跡を探すこと」。そして、「この山に住んでいる動物を探すこと」であった。動物は人前には姿をなかなか見せないので、ほぼ実物大の動物のパネルを置いたが、なんと、本物の鹿が数頭あらわれたのだ。

 澄んだ空気、空の青さ、爽やかで心地よい風 ・・・。いい季節になったもんだ。子供たちの笑顔、元気一杯の歓声、それを見ているだけで、爺さんたちは癒されるのである。
  
  

2012年9月17日月曜日

六十の手習い


 定年後の爺さんたちが集まって、ボランティア活動として里山公園の森の手入れを行っていることは、このブログでもずっと書いてきた。しかし、この爺さんたち、森の手入れに関して何か筋道の立った学習をしたことはない。ましてや、専門的な教育も受けたことももちろんない。先達の手ほどきで、いわば見よう見まねでやってきたというのが実態に近いのだろう。したがって、この公園森の在り方についてそれぞれが様々な価値観やらイメージを持っている。新しくボランティア・クラブをスタートさせるにあたって、この森を、「こういう森にしたい」という目標、動機づけをはっきりさせて活動したい、あるいは新しいクラブ員も含め、私たちが手入れを行っている森に関して実際の管理作業の基準や手順のよりどころなどをまとめた、マニュアルを作りたい。こんな爺さんたちの要望から、マニュアルづくりをスタートさせるために、管理事務所が主催する、森の管理の専門家による調査・管理のセミナーを受けた。


 12月に行われる1日と合わせて2日間のコース、1日目の午前中は里山の基礎について学び、午後は植生調査の実習であった。「Nature/自然」という言葉の定義や意味に関する欧米と日本の違いや、いままでも個人個人がバラバラに持っていた森や里山に対する知識を改めて正しく共有できたとともに、ボランティアなど市民参加型の森の手入れ活動を行い、放置された里山の再利用を図っていくといういわゆる「兵庫方式」についても理解と認識ができた。久しぶりの座学であったが、眠る人もなく、爺さんたちの向学心、ますます旺盛というところ ・・・。午後からは、「植生調査」の実習。植生を数値化することにより、この森のプロフィールが改めて明らかになるとともに、今我々が進めている手入の方向性についても、そう大きく間違っていないということで、自信を持つこともできた。

 専門家にきちっと講義してもらっての勉強と実習、「六十の手習い」ではあるが、なかなか心地よいものであった。もちろん、「好きこそものの ・・・・」のたとえもありますが ・・・ 。
  
  

2012年9月1日土曜日

真夏の蝶


 いつもの遊びの山。伐採作業をしていると、美しい一匹(一頭)の黒い蝶がひらひらと優雅に現われた。そんなに人を怖がる風でもなく、切り株や木の枝にとまって遊んでいる。早速、カメラを持ち出し撮ってはみたものの、上のように、いいアングルで、蝶の特長をつかんだ写真が撮れなかった。帰ってから、記憶をもとに調べてみたら、その特徴からして、どうも「モンキアゲハ(紋黄揚羽)」のようである。多分いままでにも無意識には見ていたかもしれないが、はじめてこの山で出会ったような気がした。

(写真はネットより無断拝借)

  「モンキアゲハ(紋黄揚羽)」は、「オオゴマダラ(大胡麻斑)」や「ナガサキアゲハ(長崎揚羽)」と並ぶ、日本では最大級のアゲハチョウ科の蝶。翅は大きくて幅広く、開張時で110 - 140mmほどになるというが、私が見た蝶も、優に100㎜以上はあった。私の写真でもかすかに窺えるが、後翅に黄白色の大きな斑紋があるのが特徴で、また尾状突起があるので「ナガサキアゲハ」と区別できる。日本では、成虫が見られるのは4-10月頃で、その間に2-3回発生するが、特に夏型は春型に比べて大型になるという。関東以西に分布し、南方系の種類として位置づけられ、大阪あたりの都市部で見ることは珍しいらしいが、平地や低山地の森林の周辺でよく見かけられる普通種である。日中の暑い時間帯にも活発に飛び、ユリ類、クサギ、ヒガンバナ、人家の庭先の園芸種など各種の花に訪れるという。(Wikipedia参照)

 今、この山で多く咲いているのは「クサギ(臭木)」の花。きっと、この花の蜜を吸いにやって来たのであろう。こうして初めての蝶や生き物に出会ったり、その名前を覚えることがあると、なにかものすごく得をした感じで、この上なくハッピーな気分になれる。山作業の手を止め、皆であれこれの蝶談義。
  
  

2012年8月25日土曜日

もうチョッキリ虫が


  「すこし風が秋めいてきたか?」と感じながら、山作業へと向かう。たしか先週はなかったのだが、チョッキリ虫が枝を落とし始めているのに、今週気が付いた。この山に秋が忍び寄ってきている前兆である。まだどんぐりの粒は小さいが、チョッキリ虫は見事に穴をあけ、枝を切り落としている。

 この時期から、もうチョッキリ虫が活動を始めるということは、今年はドングリが豊作という事か? 昨年、一昨年と、子供たちの木工細工教室に使うどんぐりの大不作に悩まされた私としては、大変うれしい前兆である。コオロギ,バッタ,キリギリス、マツムシ、スズムシ、クツワムシ、赤トンボ ・・・、チョッキリ虫は本格的な秋の虫たちの登場までの脇役、前座というところか ・・・。さあ、9月になれば、もうどんぐりなど木の実集めの段取りを考えねばなるまい。


 そして、夏の虫の主役の座をチョッキリ虫に譲りつつあるのが、セミ(蝉)。あれほど盛んだったニイニイゼミの声がクマゼミ(熊蝉)に変わってきた。今、遊びの山もウォーキングの道筋も、「シャカシャカシャカ…」と、うるさいくらい一色に聴こえているのは、このクマゼミ。クマゼミは南方系のセミであるため、棲息数は西日本地域に多いという。そのため、故郷・信州で子供の頃は、クマゼミの声を聴いた記憶がないので、関西に来て、クマゼミが主役と聞いてちょっと驚いたことがある。黒っぽい体に透明の翅を持つ日本最大のセミであるが、昔は関西でもこんなに多くはなかったらしい。気候の温暖化のせいか、段々と北上し、最近は関東地方などにも分布を広げていると聞く。しかし気のせいか、今年は、クマゼミに混じってなつかしいミンミンゼミの声も多く聞こえているようだ。蝉の世界にも、少しパワー・バランスが戻ってきたのかもしれない。
  
  

2012年7月28日土曜日

炎天下でも遊ぶ



 遊びの山の「炎天の花」は、「ネムノキ(合歓木)」でしょうか。この山に多く自生している木である。雑木林に生える落葉高木で、高さは10mにもなるため、あの白い綿毛のような花は遠くからでもよく見える。夜は葉を閉じるので「ねむ」と呼ばれるようになった。漢字名の「合歓木」は、中国において「ネムノキ」が、夫婦円満の象徴とされていることから、付けられたものであるという。

 そんな「ネムノキ」について、話しながら、子供たちと向かう先は、大広場。そう、この日は子供たちいや大人にも大人気の「ペット・ボトル・ロケット」の製作と試射をする日。もちろん熱中症に気を付けながらであるが、炎天でも、爺さんたちは、元気よく、そして精一杯遊ぶのである。

  

2012年7月24日火曜日

ヤマモモを採る、ピザを焼く

                                           先日は、我々と同じ遊び場の公園で、「食育」の活動をしているグループのイベントのお手伝い。公園に生えているヤマモモがちょうど熟れ頃。それを使ってヤマモモのジュース、とジャムを作り、野菜ピザを焼こうというイベントである。我々爺さんたちは、例によって、ヤマモモ採りとピザ窯でピザ焼のお手伝いが担当である。この日からちょうど夏休みが始まったので、いつもより多い、お父さん、お母さん、子供たちと30数人の参加者を引き連れてヤマモモ採りに向かう。採り方は至って簡単、ヤマモモの木をゆするだけ。すると、根元に敷いたブルーシートに、ぼたぼたと実が落ちてくる。その実を洗って、煮詰めればジャムに、絞れば、さわやかな酸味が口中に拡がるジュースにとなる。この時期の私の大好物である。


 もう一つのメニューはピザ焼。遊び場の窯場には、炭焼き窯、炊事用の窯と並んで先達たちが自作したピザ窯がある。これを使って、時折パンやピザなどを焼いている。家族で生地をこね、野菜を中心にした思い思いにトッピングしたピザを次から次へと焼いていく。我々が子供の頃は考えられもしなかったが、今の子供たちは、「食」ということに関して言えば、間違いなく幸せである。参加者とスタッフの数を入れると相当な数。汗だくになりながらピザを焼く。我々も自分の食べる分のピザは自分でつくったが、毎日の食事の用意というなら大変であろうが、遊びだから気が楽。「男子厨房に入るべからず」なんて教育を受けてきた世代だが、結構楽しいから不思議なもの。まっ、「スンマセン ・・・」と誰かに謝っておこう。

 注) 食育(しょくいく)とは、国民一人一人が、生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を楽しく身に付けるための学習等の取組みを指す。(「食生活情報サービスセンター」HPより)
  
  


2012年7月7日土曜日

抜けども抜けども ・・・


 今日の山遊び、小雨をついて、先週からの続きで、「ヨウシュヤマゴボウ/洋種山牛蒡」の駆除を行う。クヌギ再生林の急斜面の一番上に群生している「ヨウシュヤマゴボウ」を攻めるのだが、ここ数日続いている雨で、滑りやすくなっていて、段々とバランス能力が衰えてきた爺さんたちにとっては、安定した姿勢を確保したり、保ったりするだけでも大変で、蒸し暑い中、すぐに全身から汗が吹き出してくる。おまけに小さな羽虫が耳の穴といわず、鼻の穴にまでも飛び込んできて、その鬱陶しさと言ったらない。しかし、まっ、これも自然とお付き合いをしていく上では、仕方のないこととあきらめて作業に勤しむ。おかげで、この日も500本くらい駆除できたが、雨がすこし激しくなってきたので早めに切り上げた。来週には全部駆除できるだろう。

 写真は本日一番の「ヨウシュヤマゴボウ」である。これが生えてた群落は、全部同じ根っこでつながっているのである。「抜けども抜けども ・・・・」という感じであるが、抜いていけばいつかは駆除できると思いながら作業を続けているのである。果てしない徒労に終わるかもしれないが ・・・。
  

2012年7月1日日曜日

「手を入れる」ということ



 今日は、クヌギ育成林の手入れ。日当たりのいいところにはびこってしまう外来種、「ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)」の駆除を行う。炭焼きのために、クヌギを伐採した斜面に、「クサギ(臭木)」といっしょに繁茂している。大きくなると高さが2mを超えて、まるで「木」のように見えるが「草」なのである。

 「ヨウシュヤマゴボウ」は、名前の通り、北アメリカ原産で、日本では明治時代初期以降、各地で雑草化している帰化植物である。茎は無毛で赤く、葉は大きく、根はまさに牛蒡か自然薯のよう。この時期に可憐ともいえる小さな白い花をつける。

しかし、この「ヨウシュヤマゴボウ」、これが厄介なことに、まず、有毒植物で、全体にわたって毒があり、果実も有毒であり、乳幼児には触れさせない方がいいと言われている。そして、さらに厄介なことは、球根とは違い、根が増えて繁殖する「宿根草」なのである。地上部の茎・葉が枯れても、地中の根は枯れずに生き残って、次の年に暖かくなったたらまた芽が吹く。

 従って写真のように、丈は小さくても根っこが深く太く、また縦横に張っているので、駆除するには鶴嘴(つるはし)などで根を掘り起して切断するしかない。こうなるともう人海戦術である。花が咲く前に駆除したかったのだが、都合で延び延びになってしまった。1時間半ほどで500本を超える「ヨウシュヤマゴボウ」を駆除したが、まだ残っているものはまた次週。

 とにかく森の手入れは、絶対的に人手が必要。人海戦術である。人の手が入らなかったら、見る見るうちに森や山は荒れてしまう。家や庭、機械、道具などと同じである。「まったく人の手が入らない手つかずの自然がいい」という原生林・原始林指向の考えがあるが、間違いである。もちろん、一部に原生林が必要なことは認めるが、人が楽しんだり、かかわったりする森は特に手入れが必要なのである。森が多様性豊かで、人に心地よさを与えつづけためには、森に最小限の整備が必要であるという事であり、人の手が入るということは、必要ならば木を切る、伐採をするということである。木そのものは、個々には何もしなくても勝手に育つかもしれないが、ある目的を持った空間としての森には何もしなければ、育たないのである。

 日本の国土の70%近くが森林。古来から森を大事にしてきたことから、日本人には木を切ることへの抵抗感や誤解があり、最近は一般の人と森林ボランティアとのトラブルも多いと聞く。そして、その日本の森が荒廃の危機に瀕しているのだ。


 一旦家に帰ってから、買い物ついでに長谷の棚田へ寄ってみる。この美しい景観を形作っているのは棚田、里山。私などは時々眼を休めに遊びで来るだけであるが、地元の農家にとっては生活そのものなのである。最近、休耕田も増えているようだが、この景観が維持されるために、どれだけの手間や人手がかかっているのか、ちょっとだけ思いを馳せてみた。
  

2012年6月18日月曜日

初夏の公園を歩く



  本格的な梅雨に入る前の晴れ間、いつもとコースを変えて、山遊びの公園をウォーキング。たまには、山に入って山仕事をせず、園内を散策して楽しむこともあるのです。

ビオトープの池には、前回訪れたときは、「シュレーゲル・アオガエル」の卵塊であったが、今回は、ビオトープに覆いかぶさるように立っている「ヤマボウシ」の枝に「モリアオガエル」の大きな卵塊が、まるで何か巨大なフルーツのように垂れ下がっている。半月ほど前に際立った声で鳴いていたが、求愛に成功したのだ。しかも4つもの卵塊である。しばらく経てば、この卵塊から小さな「オタマジャクシ」が、ポトリポトリと池に落ちてゆく。毎年毎年くりかえされるが、不思議で感動的な光景。

 そして、この公園に何本も生えていて、つい最近まで、主役の花の一つだったのは「エゴノキ」。その下向きに咲く花びらがすべて散ったあと、残った「萼片(がくへん)」と「花柄(かへい)」がちょっと面白い光景を作り出していた。ほら、まるで小さなテルテル坊主の集団行進のようでしょう。ちょうど、この梅雨に入る前の晴れ間を願ったような ・・・。また、可憐な花に似合わず、その果皮に魚毒性があるサポニンを多く含んでいるので、昔の悪ガキどもは、木の実をすりつぶして流し、川で魚を獲ったものである。



  「ホウノキ」、「ヒトツバタゴ」、「エゴノキ」、「ヤマボウシ」と白い花がつづく中で、散策路にこの時期一際目立つ鮮やかな黄色の花は、「ビョウヤナギ(未央柳)」。「ビョウヤナギ」は、中国原産の半落葉性の低木。古くから庭園花木として植栽されていたが、鮮やかでよく目立つためか、最近はよく似ている花、「キンシバイ(金糸梅)」とともに近辺の道路の路側帯などに植栽されているのを、よく見かける。「美容柳」などの字を当てることもあるが、語源は不明。花が美しく葉が柳に似るためかなどと資料には書かれている。

 それと、ポプリ、ハーブティー、アロマセラピー、観賞用などによく利用される、おなじみの「ラベンダー/Lavender」が、散策路の際に植えられている。かっては、べつの花を植えていたが、ことごとくシカの食害にあってしまい、やっと「ラベンダー」にたどり着いたと公園の管理者は言っていた。鎮痛や精神安定、防虫、殺菌などに効果があるとされるから、確証はもちろんなく勝手な想像だが、「ラベンダー」は、シカが苦手とする植物なのかもしれない。
  
  
  

2012年6月4日月曜日

遊びの山は初夏モードに



 この一か月の間に、山はすっかり「初夏のモード」へと変わっています。

花木の主役は、「エゴノキ」から「ヤマボウシ(山法師、山帽子)」へ。あの花びらの先がとがった特徴ある純白の花が、梅雨の雨中にひときわ映える季節になったのである。ビオトープの小さな池のほとりには、、散りかけの「エゴノキ」と咲き始めの「ヤマボウシ」が並び、主役交代を告げている。


そして水辺には、「モリアオガエル」によく似ている小ぶりのカエル、「シュレーゲル・アオガエル」の卵も見ることができる。このカエルは、白い泡で包まれた10cmほどの白い卵塊を産卵するというが、見たものはかなり大きく20㎝くらいあったと思う。そして、一際際目立って聞こえるのは、「モリアオガエル(森青蛙)」の求愛の鳴き声。もうすぐ池に突き出ている「ヤマボウシ」の枝先に真っ白な泡状の球形の卵塊を産卵するのも近い。

「ウスタビガ(薄手火蛾、薄足袋蛾)」の幼虫も、活発に「クヌギ(椚)」や「コナラ(小楢)」の葉を食べている。「ウスタビガ」の幼虫を突っついたり、つまんで苛めると、ネズミの様な声で鳴くと聞いたので、ちょっとかわいそうだが苛めてみた。確かにかすかな声で「チュウチュウ」と鳴いた。

 近隣からは、「ゲンジボタル(源氏蛍)」や「ヒメボタル(姫蛍)」の便りも聞かれるようになった。見に行ってみようかとも思う。そんな中で、われわれ爺さんたちは、鰯缶を使って、固形燃料で走る蒸気船を作って子供たちと遊び、このあたりの地区に伝わる伝統的な郷土料理である「粽(ちまき)」づくりの手伝いをしたり、不恰好で不揃いではあるが、My「手打ちうどん」をつくって喰う。いやいや、爺の遊びは尽きないのである。
  
  
  


2012年5月7日月曜日

連休は鯉のぼりを作り、木工細工で遊び、柏餅を喰う


 NASAによると、昨夜(5/5)は「スーパームーン」だったそうである。「スーパームーン」とは、楕円形の軌道を描く月が地球に接近したときの満月で、通常の満月より大きくて明るい満月だそうだ。昨日の満月は、今年観る他の満月より14%大きく、30%明るいという。たしかに、いつもより明るいと感じる大きな満月であった。

 そして、大型連休最後の日は山遊びの公園での「子供の日イベント」の日。ブログ・タイトルの通り、約20組の家族や子供たちと鯉のぼりを作り、木工細工で遊び、つくった柏餅を喰った一日であった。子供たちのそれぞれに個性あふれる鯉のぼりが爽やかな5月の風に翻る。それを見ているだけで楽しい。そして、夜は菖蒲湯につかる。
  
  

2012年4月17日火曜日

訪れる人々は ・・・

遊びの山の尾根筋に咲き出したコバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)
いつも山遊びをしている公園。この公園を訪れる人たちはいろいろである。旦那さんの脳梗塞のリハビリのため、一年を通じて毎朝ウォーキングをしているお年寄りのご夫婦。いつも奥さんがしっかりと寄り添っている。
犬の散歩のためよく見かける何人かのご常連。バードウォッチングと鳥の写真を撮影するためか大きな口径のレンズのカメラを持ったこれもご常連。すっかり葉が落ち、自生している柿の実が熟れるころは、「いい写真が撮れた」といつも嬉しそう。
春、暖かく桜が満開になると近くの幼稚園児がお弁当を持ってやってくる。そして、老人施設から多くの車いすのお年寄りたちも ・・・。

 今日は、公園にやってきた障害者の支援ボランティア・グループのサポート。障害者とそのご家族、支援者、あわせて50人くらいであろうか。普通はできないが、公園の許可をもらって、グランド・ゴルフ、お花見、バーベキュー、バードコール作りなどを楽しんでもらった。上天気の日曜日。櫻は満開で、駐車場待ちの車列ができるくらいのいっぱいの来園者たち。色々な人々がやってくるこの公園が好きである。

2012年4月13日金曜日

天空のフーガ  ~櫻づくしの日が始まる~


 さあ、櫻の季節。去年までは、名物櫻を追いかけて、関西一円を走り回ったが、今年はあまり遠出はせずに、ご近所の櫻を楽しむことにした。冒頭の写真は、いつもの山遊びのフィールドで、まず最初に咲きだした「エドヒガン(江戸彼岸)」。小ぶりの花で、まるで霞がかかったように空を覆う。猪名川水系に属すこの公園の山には多くの「エドヒガン」が自生している。少し早めに山仕事を切り上げて、櫻づくしの鑑賞会と決め込む。同じ種類でも咲いている櫻、まだ咲いていない櫻。「エドヒガン」を追いかけて、これから次々と咲く櫻。「エドヒガン」を皮切りに、櫻の「フーガ(fuga、遁走曲)」が始まるのだ。



 この山で、2番目に咲くのは、ご存知、「ソメイヨシノ(染井吉野)。「オオシマザクラ(大島櫻)」と「エドヒガン」が合わさってできた櫻で、江戸・染井村(現在の東京都豊島区)の植木屋が品種改良したが、これが人気を呼び、広まったという。全国にある桜の70%はソメイヨシノであるといわれている。まず山への登り口にある「ソメイヨシノ」。公園の「ソメイヨシノ」の中では、これが真っ先に咲くが、低木で小ぶりあるにもかかわらず、満開になったときの美しさは素晴らしい。ただ一本だけで凛と咲くこの櫻が好きである。


 さて、その次に咲くのは、写真左の「ヤマザクラ(山櫻)」、右の「オオシマザクラ(大島櫻)」。まだ咲き始めであるが、いずれも葉と花がほぼ同時に開く。この若々しい緑が何とも鮮やかである。「ソメイヨシノ」の片親といわれる「オオシマザクラ」は、「ヤマザクラ」よりやや大きめの白い花をつける。そして櫻餅を包む櫻の葉の材料は、この「オオシマザクラ」の葉を塩漬けにしたものである。


 北摂地方の「エドヒガン」は、水はけのよい谷間を好んで自生するといわれる。そして「エドヒガン」の巨木の隣には、「ウワミズザクラ(上溝桜)」、「イヌザクラ(犬桜)」が隣り合って自生している。二つの花はよく似ていて、同じようなブラシのように見える形を持ち、サクラ類であるが、一見櫻のように見えないのでこの名がある。他の櫻が散った4月中旬から下旬に咲き始める。したがって、今はまだ蕾の状態であるが、その形はすでにブラシ状をしている。この三種類の櫻が同居している谷筋、写真は奥から「エドヒガン」、「イヌザクラ」、「ウワミズザクラ」である。そしてその蕾。Wikipediaから拝借した「ウワミズザクラ」の花の写真もあげておきましょう。

 華麗に始まった「天空のフーガ」。しばらくはわくわくして楽しめる櫻の季節。最後にもう一度、「天空のソナタ」と呼んでもいい「エドヒガン」を ・・・。

  

2012年4月7日土曜日

目に青葉


 「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」とはよくぞ言ったものである。櫻の季節が終わって、山一面に若葉の色に覆われる。駐車場に植えられている櫻にちょっと似た中国原産の落葉小高木、「ハナカイドウ(花海棠)」の淡紅色とバックの山の明るい緑の組み合わせが鮮やかである。そして、夕食は「鰹のたたき」でビールというのが定番の季節になった。

 そして、山遊びに向かう尾根筋には、「コバノミツバツツジ(小葉の三つ葉躑躅)」に続いて、「モチツツジ(黐躑躅)」の蕾が大きく膨らみだしている。淡い紅紫色の花びらに美しい濃紅色の斑点をもつ花が開くまで、もうすぐのようだ。触ってみると、もう蕾がねばねばしている。その粘りが鳥もちなどに似ているところから、この名前の由来となっているようだ。食虫花ではないのだが、時々、昆虫がとらえられているのを見ることがある。
   
    
    

2012年4月6日金曜日

ひとくら森のクラブ、新たなる出発の日


 馬酔木、壇香梅、山茱萸、三叉に続いて遊びの山で春を告げる花は、ちいさな淡紅色の漏斗(ろうと)状の花を下垂する鶯神楽(ウグイスカグラ)。そして、ヒサカキ(非榊、姫榊など)、黒文字(クロモジ)。向かいの山には、他の木々に先駆けて辛夷(コブシ)が白い花を梢いっぱいに咲かせているが、我があそび場のコブシはいまだ蕾である。こんな春の訪れの変化を感じられるだけでも楽しくなる。

 話は変わるが浮世では、人が三人以上集まると必ず揉め事が生ずるのが常と言われる。楽しいことが一番のはずのシニア・ボランティアの世界も例外ではなかった。どこの社会にもいる「リーダー・シップ」と「専横」とを勘違いしているリーダーの存在。そんなことに嫌気がさし、仲間九人で、フラットな関係でフレンドリーで、「楽しむこと」を一番の目的とする新しいボランティア・グループを立ち上げた。活動のフィールドはいままでとまったく同じ山であるが、そのスタートである最初の山遊び、山仕事の日を迎えた。先日の嵐で尾根道に散らばった小枝や風倒木を片づけながら山頂へと登る。みんな吹っ切れたようで、九人全員が素晴らしい笑顔で記念写真に収まった。「ひとくら森のクラブ」。新たなる出発の日。