2012年7月28日土曜日

炎天下でも遊ぶ



 遊びの山の「炎天の花」は、「ネムノキ(合歓木)」でしょうか。この山に多く自生している木である。雑木林に生える落葉高木で、高さは10mにもなるため、あの白い綿毛のような花は遠くからでもよく見える。夜は葉を閉じるので「ねむ」と呼ばれるようになった。漢字名の「合歓木」は、中国において「ネムノキ」が、夫婦円満の象徴とされていることから、付けられたものであるという。

 そんな「ネムノキ」について、話しながら、子供たちと向かう先は、大広場。そう、この日は子供たちいや大人にも大人気の「ペット・ボトル・ロケット」の製作と試射をする日。もちろん熱中症に気を付けながらであるが、炎天でも、爺さんたちは、元気よく、そして精一杯遊ぶのである。

  

2012年7月24日火曜日

ヤマモモを採る、ピザを焼く

                                           先日は、我々と同じ遊び場の公園で、「食育」の活動をしているグループのイベントのお手伝い。公園に生えているヤマモモがちょうど熟れ頃。それを使ってヤマモモのジュース、とジャムを作り、野菜ピザを焼こうというイベントである。我々爺さんたちは、例によって、ヤマモモ採りとピザ窯でピザ焼のお手伝いが担当である。この日からちょうど夏休みが始まったので、いつもより多い、お父さん、お母さん、子供たちと30数人の参加者を引き連れてヤマモモ採りに向かう。採り方は至って簡単、ヤマモモの木をゆするだけ。すると、根元に敷いたブルーシートに、ぼたぼたと実が落ちてくる。その実を洗って、煮詰めればジャムに、絞れば、さわやかな酸味が口中に拡がるジュースにとなる。この時期の私の大好物である。


 もう一つのメニューはピザ焼。遊び場の窯場には、炭焼き窯、炊事用の窯と並んで先達たちが自作したピザ窯がある。これを使って、時折パンやピザなどを焼いている。家族で生地をこね、野菜を中心にした思い思いにトッピングしたピザを次から次へと焼いていく。我々が子供の頃は考えられもしなかったが、今の子供たちは、「食」ということに関して言えば、間違いなく幸せである。参加者とスタッフの数を入れると相当な数。汗だくになりながらピザを焼く。我々も自分の食べる分のピザは自分でつくったが、毎日の食事の用意というなら大変であろうが、遊びだから気が楽。「男子厨房に入るべからず」なんて教育を受けてきた世代だが、結構楽しいから不思議なもの。まっ、「スンマセン ・・・」と誰かに謝っておこう。

 注) 食育(しょくいく)とは、国民一人一人が、生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を楽しく身に付けるための学習等の取組みを指す。(「食生活情報サービスセンター」HPより)
  
  


2012年7月7日土曜日

抜けども抜けども ・・・


 今日の山遊び、小雨をついて、先週からの続きで、「ヨウシュヤマゴボウ/洋種山牛蒡」の駆除を行う。クヌギ再生林の急斜面の一番上に群生している「ヨウシュヤマゴボウ」を攻めるのだが、ここ数日続いている雨で、滑りやすくなっていて、段々とバランス能力が衰えてきた爺さんたちにとっては、安定した姿勢を確保したり、保ったりするだけでも大変で、蒸し暑い中、すぐに全身から汗が吹き出してくる。おまけに小さな羽虫が耳の穴といわず、鼻の穴にまでも飛び込んできて、その鬱陶しさと言ったらない。しかし、まっ、これも自然とお付き合いをしていく上では、仕方のないこととあきらめて作業に勤しむ。おかげで、この日も500本くらい駆除できたが、雨がすこし激しくなってきたので早めに切り上げた。来週には全部駆除できるだろう。

 写真は本日一番の「ヨウシュヤマゴボウ」である。これが生えてた群落は、全部同じ根っこでつながっているのである。「抜けども抜けども ・・・・」という感じであるが、抜いていけばいつかは駆除できると思いながら作業を続けているのである。果てしない徒労に終わるかもしれないが ・・・。
  

2012年7月1日日曜日

「手を入れる」ということ



 今日は、クヌギ育成林の手入れ。日当たりのいいところにはびこってしまう外来種、「ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)」の駆除を行う。炭焼きのために、クヌギを伐採した斜面に、「クサギ(臭木)」といっしょに繁茂している。大きくなると高さが2mを超えて、まるで「木」のように見えるが「草」なのである。

 「ヨウシュヤマゴボウ」は、名前の通り、北アメリカ原産で、日本では明治時代初期以降、各地で雑草化している帰化植物である。茎は無毛で赤く、葉は大きく、根はまさに牛蒡か自然薯のよう。この時期に可憐ともいえる小さな白い花をつける。

しかし、この「ヨウシュヤマゴボウ」、これが厄介なことに、まず、有毒植物で、全体にわたって毒があり、果実も有毒であり、乳幼児には触れさせない方がいいと言われている。そして、さらに厄介なことは、球根とは違い、根が増えて繁殖する「宿根草」なのである。地上部の茎・葉が枯れても、地中の根は枯れずに生き残って、次の年に暖かくなったたらまた芽が吹く。

 従って写真のように、丈は小さくても根っこが深く太く、また縦横に張っているので、駆除するには鶴嘴(つるはし)などで根を掘り起して切断するしかない。こうなるともう人海戦術である。花が咲く前に駆除したかったのだが、都合で延び延びになってしまった。1時間半ほどで500本を超える「ヨウシュヤマゴボウ」を駆除したが、まだ残っているものはまた次週。

 とにかく森の手入れは、絶対的に人手が必要。人海戦術である。人の手が入らなかったら、見る見るうちに森や山は荒れてしまう。家や庭、機械、道具などと同じである。「まったく人の手が入らない手つかずの自然がいい」という原生林・原始林指向の考えがあるが、間違いである。もちろん、一部に原生林が必要なことは認めるが、人が楽しんだり、かかわったりする森は特に手入れが必要なのである。森が多様性豊かで、人に心地よさを与えつづけためには、森に最小限の整備が必要であるという事であり、人の手が入るということは、必要ならば木を切る、伐採をするということである。木そのものは、個々には何もしなくても勝手に育つかもしれないが、ある目的を持った空間としての森には何もしなければ、育たないのである。

 日本の国土の70%近くが森林。古来から森を大事にしてきたことから、日本人には木を切ることへの抵抗感や誤解があり、最近は一般の人と森林ボランティアとのトラブルも多いと聞く。そして、その日本の森が荒廃の危機に瀕しているのだ。


 一旦家に帰ってから、買い物ついでに長谷の棚田へ寄ってみる。この美しい景観を形作っているのは棚田、里山。私などは時々眼を休めに遊びで来るだけであるが、地元の農家にとっては生活そのものなのである。最近、休耕田も増えているようだが、この景観が維持されるために、どれだけの手間や人手がかかっているのか、ちょっとだけ思いを馳せてみた。