2013年12月25日水曜日

今年最後の笑顔は ・・・



 子供たちと遊ぶ今年最後のイベントは、竹馬と焼き芋づくり。先週、近くの竹林から採ってきた青竹を使って、親子で「竹馬」を作って、何とか乗れるようになってもらう。そして、これまた先週の炭焼きで出た大量の「くず炭」で、焼き芋を焼いて頬張ってもらうという企画。

 集まったのは10数組の親子たち。竹に足台を括り付けるだけという簡単な工作のため、お父さんが手伝えば、瞬く間に竹馬は完成し、早速乗る練習に。いまの若いお父さんお母さんは、多分竹馬なんかには乗れないと思っていたが、意外や意外、結構乗れるようである。爺さん達はどうかって? それは「三つ子の魂 ・・・」とやら、50数年たっても乗り方をしっかりと体が覚えているのである。

 すこし雪混じりの天気の中、熱く焼けた芋を頬張る子供たちの今年最後の笑顔。来年もまた、こんな笑顔が見られるように ・・・。
  
  

2013年12月23日月曜日

今年もいい炭焼けました



 土曜日が1回目炭焼きの窯出しの日。運を天にまかせた(大げさな!)日でもある。窯口を遮蔽していた土とレンガを取り払い、恐る恐る窯の中へと入る。入り口近くに置いた窯木は灰になっているが、奥の窯木はしっかりと倒れずに立っているし、バイタもしっかりと残っている。まずは一安心しながら、次々と炭となった窯木を運び出していく。今回、470本の窯木を入れたが、その80%がまあまあの炭として取り出せた。初回の炭焼きとしては、まずまずの出来である。


 炭焼き体験として一連の工程に参加された一般の方にも、その苦労や楽しさ、奥の深さも分かって頂き、お土産に袋一杯の菊炭を持って帰って頂いた。

 冒頭の写真。灰だらけの異様な風体で立っているのが私である。窯木を出し終えて、窯から這い出て、ずらっと並んだ炭の出来栄えに、ほっとしているところである。ロー・テクで、アナログで、しかも3K極まりない作業工程を伴う炭焼き。かって、最先端のビル・システム開発に携わっていた技術者だった私の心をとらえて離さない。
 
  

2013年12月13日金曜日

久しぶりに山に入る


 この1ケ月半ぐらいの間は炭焼きの準備に追われていたが、やっと一段落し、後は「窯だし」を待つばかりとなったので、久しぶりに森の手入れ作業にと山に入る。西高東低の冬型気圧配置で本格的な寒波の襲来らしい。青空であるが、西側斜面は、鋸を持つ手がかじかむほどの木枯らしが吹きすさぶ。もう一気に落葉樹の葉は落ちてしまった。秋をほとんどすっ飛ばすように冬が到来した。久しぶりの山での伐採。鋸の感触が新鮮に感じられる。

 枝に残る真っ赤に熟れた「サンシュユ(山茱萸)」の実が鮮やかな色が眼を誘う。そして、野生の「柿」も熟れはじめた。もう少しで、野鳥たちの御馳走となる日も近いだろう。


  

2013年12月11日水曜日

菊の炭の物語りを味わう

 


 窯口で勢いよく燃え盛る薪の炎。いよいよ炭焼きが始まった。窯の温度をあげるため、強い火力が必要なので、1年以上も乾燥させた薪を使って火を焚く。躍る炎、赤く輝く炎、ずっと見ていてもまったく飽きない。子供も交え、10人ほどの炭焼き体験希望者と始めた今年の炭焼き体験第1日目の作業は、まず我々が苦労して作った「窯木(かまぎ)」を窯の前まで運び、中へと入れる作業である。細い窯木は奥へ、太い窯木は入り口近くへと、手渡しをしながら窯内に隙間を作らないよう縦に整然と並べていく。このドーム状の窯の広さは、直径約2m、高さは最も高いところで1.75mほどである。

 そこに、その時の窯木の太さによって違いがあるが、今回は470本ほどの窯木を並べ、その上に、この地方では「バイタ」とよばれるクヌギの細枝を束にした柴を、ぎっしりと詰め込んでいく。この作業が結構大変で、狭い空間の中で、舞い上がる炭埃や扱いにくい窯木や柴と格闘しながら、最後は体を動かすのも、窯から抜け出すのもやっとという状態まで詰め込んでいく。この作業を終えると、トタン板で窯木と窯口を仕切り、薪を燃やすスペースを作り、予備燃焼をして、第1日目の作業は終了である。

  2日目からが炭焼き本番。といってもひたすら窯口で火を燃やすことが殆どの作業。最低でも8時間は焚かなくてはならないのだ。「炭焼き」というと、皆さんは「窯木を燃やして炭を作る」と思われるかもしれないが、そうではなく、窯口で薪を焚いて、窯内の温度を、窯木が熱分解を始める温度といわれる400~500℃ぐらいまであげるのである。「窯木-煙=炭」。木の中に含まれている水分、セルロース、リグニンなどの成分を熱分解して、煙として追い出してしまう、そのためにひたすら窯口で火を焚くのである。やがて窯内の温度が600℃ぐらいに達して、外から熱を加えなくても、自ら熱分解を始め、空気だけを供給してやればいい状態となるので、空気の供給口だけを残し、窯口をレンガで遮蔽する。ここまでが、2日目の作業。作業が終わる頃には、7時を回り、すっかり暗くなってしまったが、日没直前のわずかな時間、向かいの山に陽があたり、山が真っ赤に燃え上がった。



 そして、この日は公園のセンターにある囲炉裏(いろり)を使っての「お茶会」も行われた。別のボランティア・グループで茶道の心得のある方、そして地域の中学校の茶道部の生徒さんによるお点前である。ひたすら火を燃やす合間を縫って、我々もちょっと優雅なひとときを楽しむ。

夏の下草刈りなどの手入れをし、何年も時間をかけてクヌギを育て、葉が散った秋にはクヌギを伐採し、山から降ろして窯木づくりをし、窯に入れ、窯焚きを経て見事な「菊炭」に変身させる。そんな炭の物語が、お点前の静寂の中に、完結しようとしている。頂いた一服の抹茶のなかに、太閤秀吉の茶会の昔から続いてきた、その菊の炭の物語を味わう。


 そして3日目、煙の色や量を観察し、煙道の温度を計測し、窯内の状態を推理しながら、ゆっくりと1日がかりで炭化を促進させ、4日目に炭化がほぼ終了したと判断し、煙道、窯口を完全に砂で遮蔽し、空気の供給を断つ。これが「くどさし」である。ここまでの作業をやっと終えた。この後は「窯出し(炭出し)」の日まで窯が冷めるのを待つのみである。今年の夏の異常ともいえる暑さ、例年より1ケ月早めた第一回目の炭焼き。一応考慮しながら、炭焼きを行ったが、どんな影響を炭の出来具合に与えているか、それは窯を開けてみるまでは分からない。またそれが楽しみなところなのだが ・・・。
  
  

2013年12月2日月曜日

一番大変な窯木降ろしをやっと終えた

 
 この夏に邪魔な雑木や枝を伐って紅葉が映えるように手入れをした公園への登り口。そこの「イロハモミジ」のトンネルが、それは鮮やかに色づいた。来園者も口をそろえて感嘆してくれる。そんな光景を見ると何か我々の活動が報われたような気がしてうれしくなる。 

 さて、炭焼きの準備で一番大変な「窯木降ろし」をやっと終えた。太いものから細い窯木まで、降ろした窯木は千本は超えるだろうか。降ろしの作業を始めてから延べ6日間の作業。今年は、「やっと ・・・」という感が特に強い。しかし、斜面にゴロゴロと転がっていた玉木がすべてなくなり、平地に整然と積まれているのを見ると、達成感と共に、ある種の爽快感と、美しささえ感じるのである。さて、これで12月から始まる炭焼き本番を迎える準備が大方整ったのである。さて、来週は窯や道具の点検をせねば ・・・。

 ところで、我々が焼く炭は、「白炭」と呼ばれる「備長炭」などと違って、「黒炭」である。この地方は昔は炭焼きが大変盛んだったところで、この地方で産した炭は池田に集積されたことから「池田炭」と呼ばれた。クヌギを材料とする炭で、その切り口が菊の花に似た美しい断面をもつことから「菊炭」とも呼ばれている。薫りも火持ちもよく、煙も出ず爆ぜないことから、太閤秀吉のころから今に至るまで、お茶席でも重宝されているという。我が遊びの山は、かってこのクヌギの林があった里山で、いまではもうすっかり炭焼きを生業とする農家は少なくなってしまったが、炭焼き技術を伝承するために、冬の時期になると我々は炭を焼いているのである。講釈はこのぐらいにしておきますが、私はもう10数回炭を焼いていますが、窯を開いてみるまではその出来が分からないので、何回焼いても、上手く焼けるだろうかと緊張します。まっ、その緊張感も楽しみなんですが ・・・。

 窯木降ろしの作業を終え、帰りがけに見えるダム湖に映る一面紅葉の遊びの山。夕暮れ近い午後の日差しに輝いていた。