2016年1月31日日曜日

いい炭焼けました


第一回目の炭焼きを終えた。手前味噌ではあるが、惚れ惚れするような「菊炭」が焼けた。今まで一応のレベルの炭は焼けるものの、特に窯が冷えている一回目の炭焼きは品質的には納得ができず、試行錯誤を繰り返してきた。そして今回の炭焼きでトライをしたいくつかのことが、どうも的を得て正解だったらしく、見事な「菊炭」を焼くことができた。窯を開いて、取り出すまでは「どうだろうか?」と内心ドキドキしていたが、しっかりと樹皮がついて、つややかな炭が現れるに至って、そんな心配は吹き飛んでしまった。炭焼きを始めた10数年前当時、先輩たちを指導され、たまたまこの日公園を訪れていた先達からもお褒めの言葉を頂き、ちょっとだけ自信もついた。さっそく第二回目が始まり、気が抜けない日がまだまだ続く。
  
   

2016年1月24日日曜日

子供はみんな探検好き




 


 午後より大寒波襲来という天気予報の中、こども北摂里山探検隊の一行がやってきた。20家族、70名を超える大人数の探検隊。今日の私たちはそのサポートである。缶を使って行う簡単な炭焼きの材料採集を兼ねて公園の里山ツアーから始める。そして、おくどさん(竃のこと)での火焚き体験、15kg、2釜のご飯炊きと大鍋一杯の豚汁づくりと配膳、簡単炭焼き、椎茸のほだ木作りなどサポートするメニューがいっぱい。どうにか雪も降らず、一日いろいろな体験を楽しんだ子供達。


 

2016年1月22日金曜日

いつかは里山女子に ・・・


 第一回目の炭焼きも山場は越え、あとは窯を開けるのを待つばかり。炭焼きは一般参加者への炭焼き体験教室も兼ねている。参加した家族連れの女の子二人が、好奇心満々で、炭焼きはもちろん、竃や薪割りも含め、山仕事全てに興味を持ってくれた。上の写真は炭焼きの窯入れ前の一コマ。真っ黒になるのを嫌がらず炭焼き窯に入りたかったようだ。このドヤ顔、いつかは「里山女子」に ・・・。爺の期待。

2016年1月21日木曜日

雪景色を見ながらくどさしを終える ~炭焼、3~5日目~



 炭焼き、3、4、5日目は平日のため、一般参加者はなく、我々クラブメンバーだけで炭焼きをすすめる。3、4日目は窯口で薪を燃やすことはなく、十分に温度をあげた窯内で、窯木の自己熱分解、すなわち炭化を促進させる。いわばじっくりと蒸し焼きをする時期。わずかな空気穴を設け、窯口や煙道の温度を測り、煙の量や色、木酢液の量などを見ながら、炭化の進み具合を推定する。炭化が不十分だと生焼けの多い出来の悪い炭になり、炭化がすすみすぎても、灰になる部分や崩れた部分が多い炭になってしまい、我々が目指す「菊炭」とは程遠い出来栄えとなってしまう。ある時点で、空気を完全に遮断し、これ以上炭化を加速させないため、「くどさし(くど=竃、鎖し=閉鎖する)」を実施する。「くどさし」後は、ほとんど無酸素の中で熱分解がゆっくりと進み、やがて分解、炭化が完了し、窯は徐々に冷えてゆく。

 その「くどさし」を予定していた日が5日目の今日。(写真上は3日目、下は5日目) じっくりといい炭を焼こうと思い、例年より1日遅く、「くどさし」を設定していたので、あいにく今シーズン初の積雪とぶつかってしまった。予報では、遊びの山付近は積雪エリアのちょうど南端にあたっている。朝起きてから公園へ電話を入れると、スタッドレスを履いた4駆でも上がるのがやっとという状況なので、やむなく集合を12時に延期する。最悪は徒歩で上がっても「くどさし」をしなくてはならないと決心する。幸いにも雪は止み、日が照ってきた。やれやれである。昼から温度測定を繰り返し、「くどさし」にこぎつけた。あとは10日後に窯を開けるばかり。久しぶりに見た煙突からの薄い青、美しい「浅葱色(あさぎいろ)」の煙。きっといい炭に ・・・。

  

2016年1月19日火曜日

さあ、炭焼きだ!! ~2日目、窯焚きを終えて~



 いよいよ今年の炭焼きが始まった。いつも始まる前は「今年はどんな炭が ・・・」といつも緊張する。今年体験教室に参加したのは、7組15人、男性グループ、子供と一緒の家族連れ、田舎に買った家に炭窯があるので(スゴイ!)炭焼きを学びたいという御夫婦 ・・・など様々。いつものように、炭焼きのプレゼンをし、窯木の運搬、窯入れから炭焼き体験作業を開始する。500本ほどの窯木を入れ、予備乾燥をして初日は終わり。二日目は、ただひたすらに窯の温度を上げるため窯口で火を焚く一日。参加者は比較的暇なので、飽きないようにと、里山ツアー、飾り炭づくりによる炭焼き原理の学習、薪割り体験、ぜんざい・大根炊き・焼き芋を味わい楽しむ ・・・などのメニューも。十分に窯の温度が上がったら、入口をレンガと粘土で遮蔽して二日目を終える。

 里山ツアーに見かけた暖冬で狂い咲いた「ヤマツツジ(山躑躅)」の白さが印象的だった。


2016年1月12日火曜日

初春一番の縁起物は ・・・


  朝、山へ向かう途中の車の中、「ピーン」と警告音が響く。外気温が3.5℃を下回ると鳴る「路面凍結注意」の警告音である。今シーズン初めて。外気温は3℃と表示されている。向かう新春のイベント初めは「子供達と餅をつく」。とにかく暖かい冬である。しかもこの朝は、太陽が出ているのでよりあたたく感じる。例年、防寒対策は万全にして向かうイベントである。この山で活動する団体が合同で開催する「新年餅つき大会」、もう7、8回目を数える。暖かいことも影響して、受付を早めに締め切るほどの人気で、65人ほどの家族連れが来園し、スタッフを含めると100人を超える「大餅つき大会」となった。

竃(かまど)を使って、15臼ほどのもち米を炊き上げ、定番の「あんこ餅」、「きなこ餅」、意外なことになんといっても一番人気の「納豆おろし餅」。そして、丸い白餅をつかい、直径1mほどの大鍋で、たくさんの野菜の具を煮込んだ関西風雑煮を煮る。いずれもあっという間になくなるほどの人気。手前味噌になるが、いや、この雑煮は美味かった。丸餅、味噌味仕立ての関西風の雑煮、意外なマッチングが癖になる「納豆おろし餅」は関西へ来てから知った味であるが、すっかり馴染みとなってしまった。

 おぼつかないながらも杵を振り上げる子供たち、餅を頬張る家族連れの笑顔。初春一番の縁起物。
  
  

2016年1月10日日曜日

初山遊びで見つけた野生の痕跡




 山頂まで登って安全祈願を済ませ、いよいよこの16日から始まる炭焼き準備に取り掛かる。何回経験しても炭焼きの始まる前のこの時期は心が高揚する。炭窯の補修と乾燥、道具類の点検、粘土砂の用意など、結構いろいろな準備作業を万端怠りなくこなさねばならない。

 一般的に言って、炭窯を作り、炭焼きを行うため(写真参照)には粘土が必要で、この山では良質の粘土が取れる。写真の炭窯は、10年すこし前に公園が作ったものであるが、当初は、かってこの地の名産「菊炭」を語るための展示だけが目的であったという。しかし「本物の炭窯を展示だけではもったいない、炭焼きの伝統、クヌギ林の里山を復活し、炭焼き技術の伝承をしよう」と、先輩たちが県を説得して、クヌギを育成、伐採し、炭焼きを行うようになった。先輩たちのご苦労のおかげで、我々が今、楽しめている。

 例年のように炭焼きに必要な粘土の採取に向かう。去年掘ったところに水が溜まり、絶好の「猪の沼田場(ヌタ場、ぬたば)」になっているようである。深々とした足跡からもそれと知れる。「沼田場」とは、イノシシなどの動物が、体に付いているダニなどの寄生虫や汚れを落とすために、泥を浴びる場所のことである。

 ことしは申(猿)年であるが、猿はこの山では見かけたことがないが、鹿や猪ならば数多くいる。猪年ならば縁起がいいなんて呑気なことも言ってはいられない。なんせ、鹿、猪の食害がかなり深刻になってきているのだ。
  
  

2016年1月9日土曜日

初山遊びは、安全祈願と炭焼き準備から始める



 今日が今年の山遊びの初日。海抜350mほどの山頂まで登り、お神酒を捧げ、2拍2礼1拍。クラブ員一同で、山の神に今年の山作業の安全の祈願と遊ばせてもらう事への感謝を祈念する。そのあとは、早速土曜日から始まる炭焼きの準備に取り掛かる。今年、予定している炭焼きは2回、2月の上旬までかけて実施するのである。

 前回の炭焼きから10ヶ月ほど使わなかった窯である。窯の傷みなどは既に点検を済ませているが、湿った窯の予備乾燥、木酢液の回収装置の設置と点検、炭焼きで使ういろいろな道具や温度管理の計測機器などの点検、砂の採取、そしてなによりも、窯木、バイタ、薪が2回の炭焼きを十分賄うことができるかを確認し、仕分けをする。


 我々の焼く炭は、「備長炭」に代表される白炭ではなく、黒炭である。しかも、焼いた炭の木口に現れる放射状の割れ目模様が、美しい菊の花を思わせる模様になるところから、「菊炭」と呼ばれている炭である。古来、太閤秀吉の頃から茶会で重用されているという。材料は「クヌギ(椚、櫟)」。「クヌギ」だけが、このような美しい菊の花の模様になるのである。下の写真はNETより拝借したものであるが、こんな美しい菊炭をいつも焼けるようになりたいと思うのが、私の本音であり、願いでもある。
   
   

 しかし、典型的な日本の里山風景とも言われる「クヌギ林」は、この地域でも、かって炭焼きを生業としていた里の近くの山にしか見られない。「クヌギ」の原産地は、日本(本州~九州)、中国、朝鮮南部と広い地域にわたっているにもかかわらずである。我々の活動する公園に隣接する山でも、自生しているのは、ほとんどが「コナラ(小楢)」で、「クヌギ」は見当たらない。そんなところから、もともと日本の山には自生していなかったが、炭を焼くために中国、朝鮮半島あたりから持ってきて、植林したものではないかという説もあるのである。

 必ずしも明確な根拠が示されているものではないらしいが、次のような説を聞いたことがある。
『クヌギは外来種であり、約1200年ほど前、「弘法大師」が炭焼き技術を中国大陸から持ち帰ったときに、一緒に持ってきたもの。 そして、この地域に残るクヌギ林も、元々は炭焼きのため、古くから人の手で植林されたものである』という説。

 この辺の地域の特徴や歴史を当てはめてみた素人考えではあるが、クヌギ林が炭焼きを生業とする里の近くだけに存在すること、炭焼き窯の窯床と煙道とをつなぐ孔を「弘法の孔」とよぶこと、更にこの地域一体は、奈良の大仏鋳造の際に必要な銅を産出したとも伝えられる「多田銀銅山」の鉱脈が走っている地域であり、銅の精錬には大量の炭が必要であろうことから、「弘法大師」は別としても、先の説にも一定の説得力があり、うなづけるのである。

 いずれにせよ、かっては立派な里山だったが、1960年代の燃料革命を契機として、次第に「クヌギ林」が放棄され、さらにダム建設により、放棄が決定的になった里山には常緑広葉樹が勢力を拡げ、かっての里山としての機能が失われてしまった。その林を、「クヌギ林」として蘇らせ、古来からこの地域の特産であった「菊炭」を焼く炭焼き技術を伝承しようとする我々の活動のメインの行事、炭焼きが今年もまた始まったのである。

 昼過ぎまでかかって、点検・準備を終え、土曜日からの炭焼きにワクワクしながら山を下りる道筋、ダム湖には雪混じりのにわか雨が降り始めた。


  

2016年1月8日金曜日

初山遊びで見つけた暖冬異変




 初・山遊び。公園内の海抜349.2mの知明山山頂まで登って、お神酒を供えて安全祈願をする。16日から始まる炭焼きの材料のクヌギの伐採に集中していたため、山頂まで登るのは、11月中旬以来である。やはり久しぶりだと息の上がるのが早い。平均年齢70?代のボランティア・グループ、何よりも安全で楽しくと祈願をする。暖冬の影響がこの山にも ・・・。いつもは3月に咲く「アセビ(馬酔木)」が狂い咲きをしている。一方、すっかり葉が落ちて、その赤さが目立つのは、自生する柿。多分十分に熟して甘くなっているだろう。もうすぐ野鳥たちが群がってくる。

 「今年もよろしく」と山に挨拶をして、炭焼きの準備へと向かう。ことしの炭焼きのテーマは「更なる高みを目指して」。もっともっと高品質の菊炭を焼けるようになりたいというメンバー全員の願いでもある。