朝から小雨。この程度ならと思って山頂付近の除伐作業に向かったが、ちょっと雨がきつくなってきたので、下って花見に切り替え。沢の休憩所の谷の「エドヒガン」は、満開でした。
朝から小雨。この程度ならと思って山頂付近の除伐作業に向かったが、ちょっと雨がきつくなってきたので、下って花見に切り替え。沢の休憩所の谷の「エドヒガン」は、満開でした。
私が、市から開花調査を委託されている「エドヒガン 観察樹木登録番号:12-1472」、咲きました。3月24日の活動日に観察をしたが、「エドヒガン(江戸彼岸)」はもちろん、ほかの桜も一切開花は見られなかった。今日改めて観察に行ってみると咲いていました。多分昨日開花したと推定します。
私の住んでる街の中心部にある公園、「キセラ川西せせらぎ公園」。3日ぶりに行ってみたら、市の天然記念物にも指定され、「里山三種の心木(しんぎ)」と呼んでいる公園のシンボル・ツリー、「エドヒガン(江戸彼岸)」の開花が始まっていた。3日は全く咲いていなかったのに、その変化の速さに驚くばかり。
川西市出身の著名なプラント・ハンター、「西畠清順」さんの発案で、日本一の里山とよばれる市の黒川地区の「エドヒガン」を移植したもの。
「エドヒガン」は、「ヤマザクラ(山桜)」や「カスミザクラ(霞桜)」と同様に自生するサクラの一種だが、市を流れる「猪名川」水系の上流域にのみ自生し、兵庫県のレッドリストに記載されるほど個体数が少なく、絶滅危惧種に指定されている。しかし、わが川西市 内には多く分布しており、桜の名所となっていて、この時期市民の目を楽しませてくれる。
川西市の市の花は、清和源氏の祖、「源満仲」の廟が多田神社にあることに由来する「リンドウ(竜胆)」。市の木は、市民の投票を受け「サクラ(桜)」に選ばれているが、それとは別に、川西市の自然として、もっとも重要な日本一の里山林を構成する種より選定した「クヌギ(橡、椚)」、「エドヒガン」、「ナラガシワ(楢柏)」の3種が選ばれ、「生物多様性ふるさと川西戦略」における里山保全のシンボルとして「里山三種の心木(しんぎ)」と命名されている。
私の活動拠点の公園にある2個の群落も、2015年川西市の天然記念物指定を受けた。その「エドヒガン」が咲くのも、すぐだ。
「杉浦銀治」氏が1月8日にお亡くなりになったという知らせ。「杉浦銀治」と言っても一般の人には馴染みがない人でしょう。私も、会ったこともなく、まして、お話ししたこともありません。しかし、「炭焼き」を通じて、不思議な縁でつながっていたのです。
10年前、「ひとくら森のクラブ」をたちあげて、一庫公園の主たる行事である「菊炭焼き」の技術の伝承を引き受けた。立ち上げる前に所属していたクラブでも、炭焼きを経験していたので、おおよそのノウハウは知っていた。しかし、引き受けた後の最初の炭焼きの出来栄えは、「菊炭」とは程遠く、到底満足できるものではなく、文化・技術の伝承という大きな目的を前に、頭を抱えたものでした。
そんなときに、私の眼を見開かせてくれた一冊の本に出合いました。それが、岸本定吉、杉浦銀治、両氏の著書、「日曜炭焼き師入門」(総合科学出版2012年刊)。そこには、炭焼きの原理、炭窯の機能、炭になるまでの工程 ・・・などが丁寧に書かれていました。「これだ!」と思い、次回の炭焼きからはこの本を参考にして、ノウハウを積み上げていき、クラブ員の誰もが、何とか「菊炭」をそこそこ出来栄えで焼けるようなレベルに到達できました。この本には感謝しています。そして、ここ最近何年か毎年、85歳というご高齢ながら、電車とバス、さらに30分歩いて、我々の炭焼きの最後の工程、「窯出し」の時に出来栄えを見に来てくれる方がいます。Nさん。最初は私も知らなかったのですが、公園の職員で見知った方がいて、公園がオープンして、炭焼きを始めた20年ほど前、先輩たちが炭窯の建造から炭の焼き方までご指導を頂いた方だという。しかもそのNさんの炭焼きの師匠が「杉浦銀治」氏だったのです。不思議な因縁。「素晴らしい菊炭。私が教えることなどない。」と言いながらも、今年も見届けていただいたNさんから「杉浦銀治」氏の訃報を聞きました。
思えば、「日曜炭焼き師入門」を通じ、Nさんを通じ、我々の炭焼きの師匠でもあったのです。森林総合研究所で製炭の研究や後輩の育成に情熱を注ぎ、その人柄は「銀爺い」と呼ばれ。平成25年には「吉川英治文化賞」を受賞したという。
一面識もない我々だが、今年焼けた「菊炭」を捧げ、悼むことにしよう。
合掌 ・・・・。