2013年12月25日水曜日

今年最後の笑顔は ・・・



 子供たちと遊ぶ今年最後のイベントは、竹馬と焼き芋づくり。先週、近くの竹林から採ってきた青竹を使って、親子で「竹馬」を作って、何とか乗れるようになってもらう。そして、これまた先週の炭焼きで出た大量の「くず炭」で、焼き芋を焼いて頬張ってもらうという企画。

 集まったのは10数組の親子たち。竹に足台を括り付けるだけという簡単な工作のため、お父さんが手伝えば、瞬く間に竹馬は完成し、早速乗る練習に。いまの若いお父さんお母さんは、多分竹馬なんかには乗れないと思っていたが、意外や意外、結構乗れるようである。爺さん達はどうかって? それは「三つ子の魂 ・・・」とやら、50数年たっても乗り方をしっかりと体が覚えているのである。

 すこし雪混じりの天気の中、熱く焼けた芋を頬張る子供たちの今年最後の笑顔。来年もまた、こんな笑顔が見られるように ・・・。
  
  

2013年12月23日月曜日

今年もいい炭焼けました



 土曜日が1回目炭焼きの窯出しの日。運を天にまかせた(大げさな!)日でもある。窯口を遮蔽していた土とレンガを取り払い、恐る恐る窯の中へと入る。入り口近くに置いた窯木は灰になっているが、奥の窯木はしっかりと倒れずに立っているし、バイタもしっかりと残っている。まずは一安心しながら、次々と炭となった窯木を運び出していく。今回、470本の窯木を入れたが、その80%がまあまあの炭として取り出せた。初回の炭焼きとしては、まずまずの出来である。


 炭焼き体験として一連の工程に参加された一般の方にも、その苦労や楽しさ、奥の深さも分かって頂き、お土産に袋一杯の菊炭を持って帰って頂いた。

 冒頭の写真。灰だらけの異様な風体で立っているのが私である。窯木を出し終えて、窯から這い出て、ずらっと並んだ炭の出来栄えに、ほっとしているところである。ロー・テクで、アナログで、しかも3K極まりない作業工程を伴う炭焼き。かって、最先端のビル・システム開発に携わっていた技術者だった私の心をとらえて離さない。
 
  

2013年12月13日金曜日

久しぶりに山に入る


 この1ケ月半ぐらいの間は炭焼きの準備に追われていたが、やっと一段落し、後は「窯だし」を待つばかりとなったので、久しぶりに森の手入れ作業にと山に入る。西高東低の冬型気圧配置で本格的な寒波の襲来らしい。青空であるが、西側斜面は、鋸を持つ手がかじかむほどの木枯らしが吹きすさぶ。もう一気に落葉樹の葉は落ちてしまった。秋をほとんどすっ飛ばすように冬が到来した。久しぶりの山での伐採。鋸の感触が新鮮に感じられる。

 枝に残る真っ赤に熟れた「サンシュユ(山茱萸)」の実が鮮やかな色が眼を誘う。そして、野生の「柿」も熟れはじめた。もう少しで、野鳥たちの御馳走となる日も近いだろう。


  

2013年12月11日水曜日

菊の炭の物語りを味わう

 


 窯口で勢いよく燃え盛る薪の炎。いよいよ炭焼きが始まった。窯の温度をあげるため、強い火力が必要なので、1年以上も乾燥させた薪を使って火を焚く。躍る炎、赤く輝く炎、ずっと見ていてもまったく飽きない。子供も交え、10人ほどの炭焼き体験希望者と始めた今年の炭焼き体験第1日目の作業は、まず我々が苦労して作った「窯木(かまぎ)」を窯の前まで運び、中へと入れる作業である。細い窯木は奥へ、太い窯木は入り口近くへと、手渡しをしながら窯内に隙間を作らないよう縦に整然と並べていく。このドーム状の窯の広さは、直径約2m、高さは最も高いところで1.75mほどである。

 そこに、その時の窯木の太さによって違いがあるが、今回は470本ほどの窯木を並べ、その上に、この地方では「バイタ」とよばれるクヌギの細枝を束にした柴を、ぎっしりと詰め込んでいく。この作業が結構大変で、狭い空間の中で、舞い上がる炭埃や扱いにくい窯木や柴と格闘しながら、最後は体を動かすのも、窯から抜け出すのもやっとという状態まで詰め込んでいく。この作業を終えると、トタン板で窯木と窯口を仕切り、薪を燃やすスペースを作り、予備燃焼をして、第1日目の作業は終了である。

  2日目からが炭焼き本番。といってもひたすら窯口で火を燃やすことが殆どの作業。最低でも8時間は焚かなくてはならないのだ。「炭焼き」というと、皆さんは「窯木を燃やして炭を作る」と思われるかもしれないが、そうではなく、窯口で薪を焚いて、窯内の温度を、窯木が熱分解を始める温度といわれる400~500℃ぐらいまであげるのである。「窯木-煙=炭」。木の中に含まれている水分、セルロース、リグニンなどの成分を熱分解して、煙として追い出してしまう、そのためにひたすら窯口で火を焚くのである。やがて窯内の温度が600℃ぐらいに達して、外から熱を加えなくても、自ら熱分解を始め、空気だけを供給してやればいい状態となるので、空気の供給口だけを残し、窯口をレンガで遮蔽する。ここまでが、2日目の作業。作業が終わる頃には、7時を回り、すっかり暗くなってしまったが、日没直前のわずかな時間、向かいの山に陽があたり、山が真っ赤に燃え上がった。



 そして、この日は公園のセンターにある囲炉裏(いろり)を使っての「お茶会」も行われた。別のボランティア・グループで茶道の心得のある方、そして地域の中学校の茶道部の生徒さんによるお点前である。ひたすら火を燃やす合間を縫って、我々もちょっと優雅なひとときを楽しむ。

夏の下草刈りなどの手入れをし、何年も時間をかけてクヌギを育て、葉が散った秋にはクヌギを伐採し、山から降ろして窯木づくりをし、窯に入れ、窯焚きを経て見事な「菊炭」に変身させる。そんな炭の物語が、お点前の静寂の中に、完結しようとしている。頂いた一服の抹茶のなかに、太閤秀吉の茶会の昔から続いてきた、その菊の炭の物語を味わう。


 そして3日目、煙の色や量を観察し、煙道の温度を計測し、窯内の状態を推理しながら、ゆっくりと1日がかりで炭化を促進させ、4日目に炭化がほぼ終了したと判断し、煙道、窯口を完全に砂で遮蔽し、空気の供給を断つ。これが「くどさし」である。ここまでの作業をやっと終えた。この後は「窯出し(炭出し)」の日まで窯が冷めるのを待つのみである。今年の夏の異常ともいえる暑さ、例年より1ケ月早めた第一回目の炭焼き。一応考慮しながら、炭焼きを行ったが、どんな影響を炭の出来具合に与えているか、それは窯を開けてみるまでは分からない。またそれが楽しみなところなのだが ・・・。
  
  

2013年12月2日月曜日

一番大変な窯木降ろしをやっと終えた

 
 この夏に邪魔な雑木や枝を伐って紅葉が映えるように手入れをした公園への登り口。そこの「イロハモミジ」のトンネルが、それは鮮やかに色づいた。来園者も口をそろえて感嘆してくれる。そんな光景を見ると何か我々の活動が報われたような気がしてうれしくなる。 

 さて、炭焼きの準備で一番大変な「窯木降ろし」をやっと終えた。太いものから細い窯木まで、降ろした窯木は千本は超えるだろうか。降ろしの作業を始めてから延べ6日間の作業。今年は、「やっと ・・・」という感が特に強い。しかし、斜面にゴロゴロと転がっていた玉木がすべてなくなり、平地に整然と積まれているのを見ると、達成感と共に、ある種の爽快感と、美しささえ感じるのである。さて、これで12月から始まる炭焼き本番を迎える準備が大方整ったのである。さて、来週は窯や道具の点検をせねば ・・・。

 ところで、我々が焼く炭は、「白炭」と呼ばれる「備長炭」などと違って、「黒炭」である。この地方は昔は炭焼きが大変盛んだったところで、この地方で産した炭は池田に集積されたことから「池田炭」と呼ばれた。クヌギを材料とする炭で、その切り口が菊の花に似た美しい断面をもつことから「菊炭」とも呼ばれている。薫りも火持ちもよく、煙も出ず爆ぜないことから、太閤秀吉のころから今に至るまで、お茶席でも重宝されているという。我が遊びの山は、かってこのクヌギの林があった里山で、いまではもうすっかり炭焼きを生業とする農家は少なくなってしまったが、炭焼き技術を伝承するために、冬の時期になると我々は炭を焼いているのである。講釈はこのぐらいにしておきますが、私はもう10数回炭を焼いていますが、窯を開いてみるまではその出来が分からないので、何回焼いても、上手く焼けるだろうかと緊張します。まっ、その緊張感も楽しみなんですが ・・・。

 窯木降ろしの作業を終え、帰りがけに見えるダム湖に映る一面紅葉の遊びの山。夕暮れ近い午後の日差しに輝いていた。
 

  

2013年11月30日土曜日

薪ストーブに火が入って ・・・


 今朝、新聞を取りに玄関を出たら、鉢に氷が張っていた。今シーズン初めてである。そして、山の遊び場に向かうため、車のエンジンをかけたら、路面凍結注意の警告表示がフロントパネルに出た。3.5℃以下になると表示されるが、外気温は2℃を示している。寒いはずである。大阪では初雪を観測したとのニュース。


我が遊びの山のビオトープにもしっかりと初氷が張っている。こんな今季一番の寒さの中を、地域の幼稚園児たちが元気いっぱい遊びに来てくれた。公園と市の教育委員会が主催の「森の幼稚園」に参加するためである。我々の遊び場の公園で、探検や遊びをしながら、この公園に生息している動物や昆虫などを発見し、木の葉やどんぐりを採集して、里山に親しんでもらうという企画である。10月に実施する予定であったが、台風のため1ケ月ほど延びてしまったものである。


 園児たちと一緒に散策路を廻り、この山に生息する動物、といってもほぼ実物大のイラストの看板をおいたものであるが、それらを発見したり、かって里山として盛んに利用されていたころの炭窯跡や、この地域特有の銀銅鉱採掘跡の「間歩(まぶ)」をみたり、どんぐり、クヌギやモミジ、ホウノキの葉やドングリを採集して遊ぶ。寒くて風も強かったが、天気は上々、園児たちは元気いっぱい。絶え間なく落ちてくる色とりどりの落ち葉や、紅葉の美しさに歓声をあげていた。そしてお楽しみのお昼ご飯は、我々が昔ながらの竈で炊いた古代米と具沢山の豚汁。3杯も4杯もお代わりする子も多く、その旺盛な食欲に感心する爺さんたち。そして午後は、どんぐり独楽(こま)と、どんぐり笛づくり。

 管理センターの薪ストーブには、先週から火が入った。薪は我々が伐採したクヌギを十分乾燥したもの。暖かい炎。早速、園児たちが集まってきて、じっと炎を見つめている。本当に癒しの炎である。
  
  

2013年11月24日日曜日

疲れを癒す山の赤 ~窯木おろしは順調に~


炭焼き作業の工程の中で一番大変な「窯木おろし」。5日目が終わったが、ほぼ必要とされる「窯木」の数は確保できそうで、何とか順調に進んでいる。クラブ員の半数が腰痛持ちやら体力低下で、危険な斜面での力仕事はちょっと無理な状況の中で、まあまあの進捗度ではないだろうか。全部処理し終えるまでに、あと2日ほどかかるであろう。爺さんたちの疲れも多分ピーク。眼を癒してくれるのは、燃えるような「イロハモミジ/いろは紅葉」の燃えるような赤と、ポツンと梢に一つだけ残った野生種の柿の実 ・・・。

 4連チャンではあるが、土曜日は、この地域の「里山サポーターズ・クラブ」の会員さん達が、我々の活動や活動の場を見学に来る「里山ツアー」のサポート、そして日曜日は、子供たちとの工作イベントと、疲れを癒せる息抜きの日が続く。
  
  

2013年11月17日日曜日

爺さんたちの体力が ・・・  ~始まった炭焼き作業~


 炭焼き作業が始まった。「窯木おろし」、「バイタ作り」。12月初旬からの炭焼きに向けての準備作業である。クヌギ再生林の手入れ~伐採~窯木おろし~バイタ作り~炭焼きという一連の作業工程の中で、何と言ってもこの「窯木おろし」が、もっとも大変で安全に気を配らなくてはいけない作業なのである。


 プロによる伐採を終えた後、大人の腕で一抱えもあるような太いクヌギの玉木や、大きな枝が急斜面一面にゴロゴロと散らばっている。それを人の力ですべて平地まで降ろし、窯木として使える玉木は太さ毎に、またそうでない玉木は薪にと分別して積み上げていく。また枝の中で太いものは所定の長さに伐って、窯木として使い、その他の細枝は、窯内での燃焼を助けるための「バイタ」として束ねるのである。1回の炭焼きで、窯木が約400本、バイタが約100束ほど使うのであるが、合計3回の炭焼きを行うのでその量は結構な量となる。伐採されたクヌギの本数が40~50本くらい、伐採したばかりでまだ乾燥しておらず、加えて今年の夏が長く暑かったため、木が水分を相当吸っていて重いのだ。


 我々クラブの高齢化もさらに進み、爺さんたちの半分は、腰痛持ちやら体力低下で、危険な斜面での力仕事はちょっと無理な状況になってきている。そのため、危険度の少ないバイタ作りをしてもらっているが、これとてそう楽な作業ではない。人数を増やせばいいのだが、好きでなければできないこのボランティア、定年延長とやらで新人もなかなか入ってこない。まさに日本の林業の縮図ともいえるような状況。この作業を終えるのに、延べ6日ほどはかかると踏んでいるが、ともあれやっと前半の3日が終わった。作業する傍らで真っ赤に色づき、我々の疲れを癒してくれるのは、「イロハモミジ(いろは紅葉)」。
  
  

2013年11月10日日曜日

色鮮やかに変わっていく


 ここにきて、朝夕の冷え込みがぐっと厳しくなってきた。そのため、遊びの山の紅葉が段々鮮やかに、そして深まってきた。

 いくつかの近隣の小学校3、4年生の「自然体験学習」に来る。そのお手伝いのため、里山の話をしたり、ウォークラリーを通じて、秋に実をつける木を探したり、「台場クヌギ」やそれを材料にした炭焼きの話もまじえ、年々数が少なくなってきている「エドヒガン」櫻などについてちょっとだけ勉強をしてもらっている。


 「どんぐり笛」を作るため、「クヌギ(櫟、椚、橡)」のどんぐり(団栗)を子供たちが集める。もうほとんどのどんぐりが地面に落ちてしまった中で、色鮮やかな葉に変わったクヌギの枝に、まだしっかりとしがみついているどんぐり。そして、なかなか見つけられなかった「ナナカマド(七竈)」の実。すっかり葉が落ちて、枝の先端にある実が見るようになってきた。しかし、まだオレンジ色である。こんな風にして、色が変わりゆく山の様子を楽しんでいるのである。


  
  

2013年11月9日土曜日

当分はやめられないボランティア



 今年の炭焼きが近づいてきた。事情により例年より1か月早く、12月からの開始である。先週からその準備作業に入った。まずクヌギ再生林の林床整備である。クヌギの伐採はプロに頼むのであるが、その伐採作業をスムーズにするため、邪魔になる雑木やブッシュなどを、予め刈り取っておく作業である。その林床整備を行なった後が上段の写真。そしてクヌギを伐採した後の写真が下段である。

 しかし、我々にとってはこれからが本番、大変な作業が待っている。太い幹は、チェーンソーで一定の長さの「玉木」に伐ってもらうのであるが、それも含め、枝などが斜面に置きっぱなしになっているのである。その「玉木」は斜面からおろし、平地にまとめて積み上げ、枝もまた一定の長さに伐って、太さ毎に積み上げるのである。そんなしんどい作業が控えていることは、皆十分に承知しているが、準備作業を始めたメンバーの顔は活き活きしているようだ。

 この公園では、もう欠かせない存在になってきた我がクラブ。多少なりともお役に立って、さらに感謝もされているとすれば、もうそれだけでボランティアとしては大満足なのである。まだ当分の間は、引退はできないかな ・・・。
  
  

2013年10月6日日曜日

少し心配だ ・・・


 遊びの山に自生している「カキ(柿)」。まだ色づいてはいないが、大分膨らんではきた。赤く色づき、熟して柔らかくなると、果肉たっぷりの柿の実は、小さな鳥にも人気があり、あまた群がってくるほど野鳥たちの格好の餌となるのである。この山には、「柿」の他、「リョウブ」、「ナナカマド(七竈)」、「ムラサキシキブ(紫式部)」、「カラスザンショウ(烏山椒)」、「エノキ(榎)」、「ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木)」、「ネズミモチ(鼠黐)」などの実も好んで食するようである。


 さて、2週間ぶりに尾根筋の雑木の伐採を終えての帰り道、メンバーの一人が、異変を見つけた。太目の「コナラ(小楢)」の根元の周囲に細かい木粉が堆積している。よく観ると、樹皮に孔も空いている。どうも「カミキリムシ(髪切虫)」のそれにしては、木粉が細かい。恐れていた「ナラ枯れ」かもしれないのである。「ナラ枯れ」とは、「ナラ菌」というカビの仲間の病原菌と、その病原菌を媒介する「カシノナガキクイムシ」という体長5㎜ほどの昆虫によって、ナラ類、シイ、カシ類の樹木を枯らす「樹木の伝染病」であり、「松枯れ」とならんで、全国にその被害が拡大していて、深刻な問題になっている。近隣の山でも見つかったという報告もあり、我々の遊びの山にも飛び火してくるのは時間の問題と危惧して、この7月にもエリア内を調査したばかりである。その時は、発見されなかったのだが ・・・。

 早速、管理事務所に報告し、早急に事務所から専門家に調査と鑑定をお願いすることになった。「ナラ枯れ」でなければいいが、少し心配である。もしそうであれば、専門家の指導を受けながら、早急に対策をとらねばならない。また新しき仕事?楽しみ?が増えそうだ ・・・。
  
  

2013年10月2日水曜日

エドヒガンの嫁入り先決まる



 2011年6月に遊びの山から実を採種し、2012年の春に発芽、それから約1年半、我が家の庭先で育てた2本の「エドヒガン」の苗の嫁入り先が決まった。

最初は採種した遊びの山に返すつもりだったが、その山でも多くの実生苗を育てているので、山の仲間に望まれて、彼の家の横の公園へ移植することに決まったのである。とはいえ、やはり嫁入り先は気になるもの。遊びの山なら、我が庭同然で、その環境も熟知しているので、その成長度合いも確かめられる。聞けば、その公園、山の仲間も含め、ご近所の人たちが結構手をかけているという。


 いずれはどこかに移植しなければならないし、我が庭では、今年も新たな種を採種して、直播きでの発芽・育苗に挑戦している。それならばと、その公園で育ててもらうことにした。この時期に移植して、ちゃんと根付くかどうかちょっと心配ではあるが、「例年より寒い」と予報が出ているこの冬をまず乗り切って、大きく育って欲しい。そしてやがては多くの人の眼を楽しませて欲しい。「エドヒガン」の寿命は千年と言われるが、もちろんそれまでは生きてはいないが、せめて花の咲くのを見てみたい ・・・。

 新たな千年櫻の歴史の始め? おおげさな ・・・。
  
  

2013年9月25日水曜日

ナナカマドの実が見つからない


 「ナナカマド」の実が、そろそろ色づき始めるころだと思って、いつもの遊びの山の「ナナカマド」のところへ行く。「ナナカマド(七竈)」というちょっと変わった和名は、一説には、「とても硬く丈夫な木で大変燃えにくく、七度、竃(かまど)に入れても燃え尽きない」ということから付けられたとある。そんなことから、私がこの山で焼く黒炭とはまったく別の焼き方による白炭、「備長炭」の材料としても重宝されているのである。


 「ナナカマド」の実は、夏の終わり頃から熟しはじめ、その緑色の実は、秋の深まりとともに濃くなり、綺麗な赤色へと変わっていく。しかし、この実は真っ赤に熟しても、腐ることはないので、葉が落ちる時期になっても、雪の降る時期になっても、実はずっと枝に残って落ちることはないのである。そんなことから観賞用の庭木としても重宝されているのだ。(付けばこうなる実の写真はNETより)

 しかし、遊びの山の「ナナカマド」、今年は実がついていないのである。結実しなかったのか、もう鳥にでも食べられてしまったのか、とにかく実がまったくついていない。いや、がっかりしましたね、あの赤色が楽しめないとは ・・・。誰かの歌にありましたね、「 ・・・ みのひとつだに なきぞかなしき」って ・・・。
  
  

2013年9月17日火曜日

秋の足音が聴こえる


 「コブシ(辛夷)」の実である。台風一過の遊びの山、抜けるような青空の下、秋の気配が少しづつ濃くなってきている。「コブシ」のほかにも、「ヤマボウシ(山法師、山帽子)」、「ホウノキ(朴の木)」などが実をつけ、そして、この山に自生する「栗」、「柿」なども、はやくも色づき始めている。そうそう、「チョッキリ虫」が好きなドングリ(団栗)も、その実を大きく膨らませ始めている。まだまだ暑いが、山では、もう秋の足音が大きく聞こえ始めている。
  
  

2013年8月31日土曜日

木苺の棘は痛かった


  炭焼きの材となるクヌギ再生林の下草刈りを行う。6月の末には、「ヨウシュヤマゴボウ」の駆除を行ったが、2か月経つと、下草が相当繁茂してきている。下草刈り、大部分はこのあと刈払機で機械刈りをするものの、一部の区域は、「コウヤボウキ(高野箒)」、「サンショウ(山椒)」、「キイチゴ(木苺)」、「ヤマツツジ(山躑躅)」、「サルトリイバラ(猿捕茨)/別名;サンキライ(山帰来)」などの希少種や花木をなどを残すため、手刈りを行わざるを得ない。春から夏にかけ、遊歩道脇で可憐な花をつけ、赤い実が人目を惹いた野や山のイチゴ類、いわゆる「キイチゴ(木苺)」も、いまでは鬱陶しいくらいに繁茂している。そして、さすがバラ科、この棘がまた痛いのである。爺さんたち、ぶつくさと相当文句を言いながらも、痛さに耐え、「キイチゴ」周辺の下草刈りを終えたのである。


  そんな甲斐あって、周遊路わきの「台場クヌギ」の周辺部はすっかりきれいになり、根元まで陽が差し込んでいる。こんな手入れを繰り返していると、「台場クヌギ」は、8~10年でちょうど炭材に適した太さまで成長するのである。この公園で炭焼きを始めてから10年。来年からは、かっての里山のように、10年サイクルで再生林伐採ローテーションを始めることができる。

 そして、今年度の炭焼きは、例年より1か月早く、12月よりスタートの予定。ということは、10月からは準備作業にかからねばならない。炭焼きのことなど考えたくもない暑さではあるが、炭焼きの計画立案に取り掛かった。

2013年8月26日月曜日

大雨の日に「ヤジロベエ」を作って遊ぶ


 大雨洪水警報がでるほどの大雨の日。その日は、子供たちと木工工作で「ヤジロベエ」などを作って遊ぶ日であった。「きっと、この雨では誰も来ないだろう」と思っていたが、予想に反し、ちゃんと何組かの家族連れが山を上がって来ましたね。そうなると、爺さんたちの意気はあがるというもの ・・・。雨の上がった午後まで、いくつものヤジロベエや昆虫などを作って遊んだ。


 このヤジロベエ、けっこうバランスをとることが難しい。我が人生におけるバランスのとり方はどうであったか ・・・ などと、愚にもつかないことを考える。
  
  

2013年7月29日月曜日

ビオトープで小舟を浮かべる


 今日は、子供たちと工作をして遊ぶイベントの日。鰯缶の空き缶でポンポン船をつくって遊ぶ工作である。夏休みに入り、山遊びの公園は水遊びができる格好の場所があるので、朝から親子連れの来園者で一杯である。夏休みの宿題の工作ができるとあって、我々のイベントも参加者で一杯。


 鰯の缶詰の空き缶、予めコイル状に巻いたアルミチューブ、アルミのキャップ、針金、固形燃料。材料は、基本的にはこれでOK。作り方はいたって簡単。鰯缶の船の後部となる箇所に穴を開け、コイルを通し、針金で支える。そして、固形燃料を入れる火皿を作れば基本的に完成。後は舵や旗などの飾りをつける。

 早速できた船をビオトープに浮かべる。火皿に固形燃料を入れ、アルミチューブのコイル部分を熱すれば、しばらくたって鳴動を始め、ゆっくりと走りだす。波紋を描きながら、ゆっくりと進んでいく姿は、なんともレトロでアナログでほほえましい。
  
  

2013年7月14日日曜日

熱中症も怖いですが ・・・


さて本日、猛暑の中での山作業は「熱中症」が怖いのであきらめて、手入れをしている山の「ナラ枯れ調査」をすることになった。「ナラ枯れ」は、「松枯れ」とならんで、全国に被害が拡大していて、深刻な問題になっている。「ナラ枯れ」とは、「ナラ菌」というカビの仲間の病原菌と、その病原菌を媒介する「カシノナガキクイムシ」という体長5㎜ほどの昆虫によって、ナラ類、シイ、カシ類の樹木を枯らす「樹木の伝染病」である。


 ミズナラ、ブナ、コナラ、クヌギなどのナラ類、シイ、アラカシ、シラカシなどのカシ類は、身近な森林を形成している馴染のある樹木であるから、「ナラ枯れ」は身近な自然に係わる怖い問題でもある。「カシノナガキクイムシ」は、病原菌を体内に入れて運び、夏から秋に樹木に無数の穴をあけ、卵を産み付け、翌年の6月にその幼虫が羽化し、また新しい樹木に卵を産み付け ・・・といったことを繰り返すのである。ナラ菌は孔道を伝わって蔓延するため、水分が上がらなくなり、真夏から晩夏にかけ急速に葉が萎れ、茶色や赤茶色に枯れてしまう。1本の木から数万頭が羽化するといわれ、一度罹ると、その森には爆発的に被害が拡がるという。

 実は、京都府は全域、兵庫県でも丹波篠山あたりまで被害が拡大しており、この近くの山でも被害が見つかったという報告もあるので、我々の山でも時間の問題かと危惧されていた。早い時期に被害を発見し、拡大しないように、対策うつため、幼虫が羽化した後の被害を発見しやすいこの時期に、目視により被害確認を行おうとするものである。

 「ナラ枯れ」は木に水分が上がらないために発症し、「熱中症」も水分不足で熱がこもるため発症する。ナラ枯れ調査の我々が、熱中症になってはシャレにもならないので、十分な水分と塩飴などを持って、調査を開始する。2時間ほど調査を行ったが、我々の受け持ち区域では、幸いなことに被害木は発見できなかった。

 森に入ると、緑陰。すっと暑さが和らぎ、尾根に出ると吹き抜ける風に爽快感を覚える。今年初めて聴く蝉の声。やはり梅雨は明けたんだ。山頂近くで見つけた「野いちご」の「赤」が、この日の厳しい暑さを忘れてしまうほど、一際鮮やかであった。
 
 午後からは、この暑さにめげずやってきたシニアの里山ウォーキングのグループを案内し、さらにこの暑さで例年より早く熟れてしまった「ヤマモモ(山桃)」の実を、食育イベントのために採集して、この暑い一日を終える。
    
  

2013年6月27日木曜日

いま森の水辺では ・・・


 写真は、遊びの山にあるビオトープの周りで見かけた「モリアオガエル(森青蛙)」の卵である。このような球状の泡が、いくつも枝からぶら下がっている。すこししぼみかけているのは、この数日降り続いた雨で、卵が孵化し、オタマジャクシとなってビオトープの水面に落下したのであろう。毎年この泡を見ると、「ああ、梅雨が始まったな」と感じるのである。

 「モリアオガエル」。日本の固有種で、本州と佐渡島に分布するという。いつもは、森林に生息しているが、繁殖期になると、生息地付近の水辺に集まる。カエルは水中に産卵するものがほとんどだが、この「モリアオガエル」だけは、水面の上にせり出した木の枝などに、粘液を泡立てて作る泡に卵を産みつけるので、この時期、特に目立った存在となっている。直径10-15 cmほどの泡の塊の中には、黄白色の卵が300-800個ほど産みつけられるという。

(写真はNETより拝借)

 産卵から2、3週間ほど経つと卵が孵化する。孵化したオタマジャクシは泡の塊の中で雨を待ち、雨で溶け崩れる泡の塊とともに、下の水面へ次々と落下する。ビオトープの中をみると、孵化したオタマジャクシが一杯元気に泳いでいた。オタマジャクシは1ヶ月ほどかけて成長し、しばらくは水辺で生活するが、やがて森の中で生活を始める。しかし、生息地の森林などに人の手が入り、環境が変化したことにより、「モリアオガエル」は各地で生息数を減らしているという。そして、産卵のためには水面上に木の枝がせり出した湖沼が必要だが、そんな場所も少なくなった。兵庫県では、「モリアオガエル」を「絶滅危惧II類」に指定している。遊びに来ていた親子に教えてあげたら、「初めて見た」といって目を輝かせていた。(Wikipedia参照)
  
  

2013年6月8日土曜日

羽化の季節


 「トライやる・ウィーク」が始まった。中学生4人を連れて山に入り、里山や森を手入れをする必要性を教えたり、森の中で実際に鋸や剪定ばさみをつかって木を伐り、間伐や枝の処理を体験してもらう。こんな生徒たちがこの6月、順番に何校かからやってくる。

「トライやる・ウィーク」とは、兵庫県が、県下の公立中学校の2年生を対象に、仕事体験などを通して地域について学び、「生きる力」を育むことを目的としている期間は1週間の教育活動。1995年(平成7年)の「阪神・淡路大震災」、1997年(平成9年)の「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」を機に、中学生に大人の働く場を見せて学習させようとする趣旨から、1998年度(平成10年度)から実施されている。仕事の体験場所は、民間の企業、商店だけでなく、幼稚園、保育所、図書館、公民館などの公共施設、役所、消防署、警察署など官公庁、福祉施設、医療機関やガソリンスタンド、郵便局などサービス業、神社、仏閣などの宗教施設など多岐にわたっている。


 だからこの時期地域のお店に行くと、大抵のところで、「いらっしゃいませ、ありがとうございました」という、初々しい声が聞こえる。この公園にも、何年か前から毎年やってくるようになった。我々は車であがってくるが、彼らは、朝早く起き、電車と1時間に1本あるかないかのバスを乗り継ぎ、さらに30分ほど歩いて公園までやってくる。約2時間、鮮やかな緑の中で汗を流してもらった。もちろん、たった1週間の体験、どのくらい効果が出ているかは知らないが、少なくとも教室にいる時よりは、活き活きとしているようである ・・・。

 社会、仕事、・・・、巣立っていくのはまだだいぶ先であるが、子供たちも些細なことでいいから、何かを感じて成長していってほしいと思う。


 作業を終えて下って来たら、ちょうど山は蝶の羽化の時期らしく、駐車場や周遊路のあちこちで蝶の群れが乱舞している。アゲハのようなあでやかな蝶ではなく、少し小振りで、地味と言ってもいい蝶である。蝶の名前を私はよく知らないので仲間に聞くと、「テングチョウ(天狗蝶)」ではないかと言う。ボケまくっている左の写真は、私がコンデジでその時大慌てで撮った写真、右がNETから拝借した写真であるが、調べてみると、やはり仲間が言ったように、間違いなく「テングチョウ」であった。それにしても、こんな蝶の群れの乱舞を見るのは久しぶりであった。



  「テングチョウ(天狗蝶)」。和名は成虫の頭部が天狗の鼻のように前方に伸びることに由来するという。テングチョウは全世界に10種類ほどが知られるが、日本に分布するのは1種類だけであるという。北海道から沖縄本島まで広く分布し、山地から平地の雑木林の周辺に生息、成虫は年1回もしくは2回発生する。最初に発生するのは6 - 7月頃だが、盛夏には休眠する。秋に再び活動してそのまま成虫越冬し、冬眠から覚めた春先にも再び活動する。速く羽ばたいて機敏に飛び、各種の花に訪れる。まれに大発生することもあるという。(Wikipediaより)