2015年1月27日火曜日

今シーズンの炭焼きを終えて反省しきり ・・・



 2回目の炭焼きの「くどさし」を終えた。後は2月7日の窯出し(炭出し)を待つばかりである。それをもって、今シーズンの炭焼きは終了である。今回は2回ともトラブル続きであった。第一回目は、窯が冷えていたことに加え、薪の管理が不十分で、乾燥が十分でなく、強い火力を得られなかった。結果、一部は美しい菊炭が得られたものの、総じて端部は生焼けが多く、合格点は得られなかったと思う。薪の乾燥の重要さを改めて認識させられた。毎回毎回、釜木やその生育条件、窯の状態、薪、燃焼状態、天候などがどれひとつとして同じではない。それに、多かれ少なかれ起こるトラブル。いつも思うことなのだが、炭焼きとは、それらを乗り越えて、いい炭に到達する推理ゲームのようなものである。

 続く第2回目は、前回の反省を活かし、十分に乾燥した薪を使ったので、火力は申し分なかったが、木酢液、タールが煙道に流入し、温度計測に不具合が生じた。これも、システム改修後のトラブル予測が不十分だったと言わざるを得ない。しかし、応急的な対策を施してからは、順調に温度も推移し、当初からの新しい試みの「煉らし」も試みることができた。多分、2回目はいい炭が焼けていると思う。いや、願うばかり ・・・。

 とにもかくにも、疲れたというのが本音。しかし、昨年までは3回の炭焼きをこなしていたのだから、気力、体力の衰えだろうか ・・・・。「くどさし」を終える頃には、朝からの小雨もあがり、遊びの山は霧に包まれていた。午後には寒冷前線が通り過ぎ、急激に冷え込んでくるという。

  

2015年1月22日木曜日

今年も新春から子供達と遊ぶ




 今年も新春から子供たちと遊ぶイベントが続いている。いずれもここ数年ほど毎年の恒例になっているイベントで、最初にあったのが、「新春餅つき大会」。園内にある竈(かまど)でもち米を蒸し、石臼で子供たちと一緒に餅を搗き、あんころ餅、きなこ餅、納豆おろし餅、雑煮などにしてみんなで食べる。やってきた50数人ほどの親子連れと、この公園で活動する団体の有志30人ほどで、瞬く間に10臼ほどの餅を搗き上げ、美味しく頂いた。朝は雪であったが、すぐに晴れ、穏やかな一日。

 そして、「こども里山探検隊」。これは、子供達と一緒に森に入り、葉っぱやどんぐり、木の実などを集めて、いろんなものを炭にしてみようというイベントである。早速、森の中の探検で大量の材料を集めてきた。そのほかにも、竈で薪を燃やす体験や、クヌギを原木にして、椎茸のほだ木づくりをしてもらう。

 いずれも、里山体験で寒いが冬の一日を精一杯遊んでもらうのが狙いのイベント。いずれも大好評、大満足で帰ってもらったようだ。さて、次は我々が精一杯楽しむ番の2回目の炭焼きが待っている。公園の「コブシ(辛夷)」の芽も大分大きく膨らんできた。春の足音はかすかながら聞こえてきているのである。
  
  

2015年1月18日日曜日

炭焼きの合間に楽しむ



 さて皆さん、上の写真、容器に入った真っ黒いものに炭化したものは何でしょうか? 答えは、うどんとお揚げさん。カップ麺の食材です。そうです、こんなものまでが炭になるです。

 炭焼きの二日目は、最低でも8時間、ただひたすらに薪を燃やして、窯の温度を上げる一日。正直に言うと、「火の番」の担当以外は、暇なのです。そこで、一般参加者の皆さんを飽きさせずに、その時間をなんとか楽しんでもらおうと、いろいろな体験をしてもらっている。その一つが、飾り炭づくり、とにかくいろんなものを炭にしてみようという遊びである。そこでできたのが、なんと「うどん炭」。

 作り方はいたって簡単。山にあるどんぐり、葉っぱ、栗、野生の柿など、あるいは蜜柑、バナナなどを小さな孔を開けた缶に入れ、炭の上で蒸し焼きにすれば、「遊び炭」というか「飾り炭」が出来上がる。細い栗のイガの一本一本まできれいに炭化される。その他過去の経験では、蜘蛛の巣、蛾の繭(まゆ)なども炭にしたことがある。


 そのほかの楽しみ方は、ふんだんにある炭を使って、七輪での炭火熾しの仕方、焼き芋づくり、縁起ものの炭細工、薪割り機を使っての薪割りや、竈(かまど)で薪を使ってのの炊飯、火打石による発火など ・・・。次回は、クヌギを使って、椎茸のほだ木づくりもしてもらおうかなと思っている。こんなふうに楽しむことはいっぱいあるし、また、それはサバイバルの知恵ともなっている。

  

2015年1月16日金曜日

はばタン、遊びの山に来たる



 兵庫県以外に住んでいる人には多分馴染みが薄いでしょうが、兵庫県のゆるキャラ、「はばタン」が、我々の遊びの山にやってきた。ちょっと見は「ひよこ」に似ているが、この「はばタン」、「阪神・淡路大震災」から復興する兵庫の姿を、甦っては元気に羽ばたく「フェニックス(不死鳥)」になぞらえてデザインされたもので、最初は、平成18年(2006年)に開催された「のじぎく兵庫国体」のマスコットであったが、現在は県のマスコットに指定され、県のPRやイベントなど、いろいろなところで一役かっているので、兵庫県民には結構人気があるらしい。


 なぜ「はばタン」が山にやってきたのかって? 兵庫県のローカル民放TV局の番組に、兵庫県が提供している県民情報番組がある。我々の活動している遊びの山は県立公園なので、その番組が、公園とそこで里山保全のボランティア活動をしている我々とを、PRを兼ねて取材に来たというわけである。女性レポーターやTV局クルーと一緒にやってきた「はばタン」、森やクヌギ林の手入れ、薪割り、飾り炭の炭焼きなどを、ほぼ一日がかりで体験取材していった。なんと私もちょこっとインタビューを受けたので、放映されるとか ・・・。

 明日、1月17日は、平成7年(1995年)の「阪神・淡路大震災」発生から20周年。そして「はばタン」は、それから8年後にあたる平成15年(2003年)1月17日が誕生日とされている。あの日の記憶、少しずつは薄れていってはいるが、まだまだ鮮明に覚えている。今年は節目の20年、追悼の行事が各地で行われる。
  
  

2015年1月15日木曜日

妖しの炎は炭化が順調に進んでいる証拠



 さて、炭焼き三日目と四日目のレポートである。窯内の温度が窯木が自身で熱分解を起こす温度(300~400℃)に達したため、薪を燃やすのを止め、空気孔を残し、窯口をレンガで遮蔽するところまでが前日の作業であった。三日目は、温度計で排煙口の温度を測り、窯内の温度を推定しながら、空気孔の開け具合を調節する。これは、ゆっくりと炭化を進行させ、翌日の日中に「くどさし」と呼んでいる、窯内への空気を遮断し、それ以上の炭化、すなわち灰になってしまうことを防ぐための作業を実施したいがための調節である。

 冒頭の写真のように、補助口から窯の内部を覗いてみると、倒れ掛かったトタン板の奥に、熱分解を起こして真っ赤になった窯木がかすかに見える。なんと妖しく、そして不思議で美しい赤なんだろうか。


 そして、四日目。いよいよそのときを迎える。炭焼きの工程の中で最大の山場である「くどさし」である。このタイミングが早すぎると生焼け状態となり、遅すぎると灰化が進んでしまう。炭の出来栄えを決める重要なポイントである。我々は、「くどさし」を行うか否かを、窯内の温度の想定、煙の色と出方、排煙口でのマッチの点火時間で判断をしている。この日も朝から温度測定を繰り返していたが、窯焚きに用いた薪の乾きが良くなく、その影響が後々まで及び、なかなか温度が上がらない。空気孔は全開にしたままである。これは、熱分解、炭化の進行が遅れていることを意味するので、すこしハラハラしたが、どうやら、「くどさし」の時期を迎えたようである。
 

 排煙口をしっかり閉じ、窯口の空気口も閉じて、砂で完全に覆ってしまう。これで空気は完全に遮断され、炭化の進行は止まり、徐々に窯の温度は下がってゆく。プロの炭焼き師は、炭焼きの効率を上げるために、100度もある窯に入り炭を取り出すというが、我々はそんな危険なことはできないので、十分に窯が冷えた10日ほど経ってから炭を取り出す。この「くどさし」を終えたあとはもうなす術は何もない。後はいい炭ができるようにと天に祈るばかりである。さて、どうなりますか ・・・。
   
    
   

2015年1月14日水曜日

蛇の舌は窯口遮蔽の合図 ~ 待望の炭焼き始まる ~



 いよいよ待ちに待った炭焼きが始まった。第一回目は10名ほどの一般参加者を交えての炭焼きである。初日は、炭焼きの歴史や作業工程をすこし学んでもらい、窯前で二拝二拍手一拝、例年通りの窯開きの神事を終え、作業に取り掛かる。まずは、我々が昨年伐った窯木とバイタを集積所から軽トラに積み、窯の前まで運ぶ作業。そして窯入れである。手渡しで順々に窯の中に入れ、窯の中では窯木の細い方を下にしてぎっしりと詰め込んでいく。そして窯木の上部にはバイタも同じようにして詰め込んでいく。我々の窯の大きさだと、約400本近くの窯木と約80束のバイタが詰め込まれる。そして、窯木と薪とを遮断するトタンを設置すれば、窯入れ作業は完了。下の図は窯入れ後の窯の断面図である。このあと、古式に則り、火打石によって発火させた火を薪に点火し、冷え切っている窯を温めるための予備乾燥を行って、初日の作業を終える。

 
 さて、二日目は、ただただひたすらに焚口で一日薪を燃やす日である。炭焼きというのは、窯木を直接焼くのではなく、窯口で薪を燃やすことによって、窯内の温度を数百度まで上げ、詰め込まれた窯木の熱分解を促進させ、炭化させる作業である。従って経験上、最低でも8時間は窯焚きを行わなくてはならない。このとき重要になるのが、薪の乾きの状態である。十分乾燥させた薪を使わないと、強い火力を得られず、窯の温度が上がらない。今回もそんな乾きが十分でない薪が混じっていたため、窯の温度が上がらず、ハラハラ、イライラした窯焚きであった。


 やがて十分に温度が上がってくると、熱分解されたセルロース、リグニンなどのガスが窯内に充満し、窯口へと逆流し、火がつく。それが冒頭の写真のように、「蛇の舌」のように見えるのである。この現象が始まると、もう薪を燃やさなくても、窯内の温度が十分に上がっているため、空気を送ってやりさえすれば、熱分解を促進していく。空気穴を残して窯口をレンガで遮蔽する、その作業に取り掛かる合図が、「蛇の舌」なのである。この作業で二日目を終えるが、終える頃は、あたりは真っ暗で冷気が肌を刺す午後6時をとうに超えた時間である。乾きの十分でない薪を使ったことの反省や、済の出来栄えの心配、明日からの作業の思案などを頭に描きながら帰路に着く。