2014年2月18日火曜日

森が明るくなるとすぐに野鳥たちが集まってきた


 先週末、再び降った大雪はもうすっかり消えている。今日の植生調査の作業は、昨年設定した10m×10m=100㎡の調査管理区域の照葉樹をすべて伐採する作業。「ヒサカキ(柃、非榊)」がほとんどであるが、「ソヨゴ(冬青)」、「アセビ(馬酔木)」をくわえて、100本ほどの照葉樹を伐採した。その結果、この区域は陽が差し込み、すっかり明るくなった。1年後、追跡調査をする予定であるが、どのくらい新しい種が芽生えているか楽しみである。


 そして、よくしたもので、森が明るくなった途端に、「ジョウビタキ(尉鶲)」、「ルリビタキ(瑠璃鶲)」、「コゲラ(小啄木鳥)」などが、作業を続けている我々を怖がることなく、直ぐに集まってきた。「コゲラ」は、虫を捕るためか、早速木を啄き始めだした。やはり、「森を明るくする」という我々の地道な活動は、意味のあることであると実感する。鹿の食害を防ぐための試みなども施しながら、今日の作業を終える。気温は低いが、陽ざしの暖かな一日だったためか、この時期の日曜日にしてはいつもより多くの来園者が、森林ウォークなどを楽しんでいた。もう、春は近いのだ。
  

2014年2月15日土曜日

けもの道を分け入って森へ入ると ・・・


 13日、植生調査のため、森へと分けいった。先日の雪が日陰にはまだところどころ残っている。そしてその雪には、無数の鹿の足跡が ・・・。この日も数頭の群れを見かけたが、この山には多くの野生の鹿が生息し、それがいわゆる「鹿の食害」をもたらして、大きな問題となっているが、ネットを張るくらいの対策で、実際のところはお手上げ状態である。ところで、森にはいくつもの「けもの道」がある。これを探すと、森の中を移動するのに大変楽である。

 そしてこの「けもの道」をたどりながら、植生調査をしていると、この山の中ではいたるところで先人が残した「炭焼き窯」の窯跡や「間歩(まぶ)」と呼ばれる手掘りの採掘坑の跡に出会う。我々の遊びの山は、「知明山」というが、その昔、神のお告げにより銅が発見されたという言い伝えがあり、そうしたことから不思議な山、「奇妙山」といわれ、いつしか「知明山」と呼ばれるようになったという。事実、この地域一帯には、おおきな銀銅鉱脈が走っていて、太閤秀吉の財政を支えたという「多田銀山」もその鉱脈上にある。銀や銅の精錬には炭が必要であり、そんなこともこの地域で炭焼きが盛んだった理由の一つかもしれない。

 さて、また昨日の大雪。けもの達は ・・・。
  

2014年2月14日金曜日

炭焼きを終えると春のスイッチが入る



 11日の炭出しをもって、今季の「炭焼き」を終えた。8日の予定だった「炭出し(窯出し)」が、あの雪のため延期になったためである。今季も例年通り3回の炭焼きを実施したが、3回とも無事に終え、炭の出来具合いもまずまずであった。「炭焼き」の準備に着手したのが、まだ暑さの残る去年の10月半ば、第1回目の炭焼きを始めたのが12月初旬、準備まで含めるとほぼ4ヶ月の長きにわたって「炭焼き」を実施してきたことになる。しかし、終わってみれば、あっという間の出来事であった。

 新しいボランティア・グループを立ち上げてから、「炭焼き」を実施したのは、これで3シーズンを数える。新しく加わった仲間も含めて、ほぼ全員が、「炭焼き」のノウハウを理解、習得できたように思う。来季からは、また一段と「菊炭」としての出来栄えのレベルを上げられるよう、新しいノウハウの獲得を目指して、チャレンジしていきたいと思う。などと、もっともらしいことを言っているが、本音はなかなか奥深い「炭焼き」の魅力に、すっかりとり憑かれてしまっているのである。きちんと後片付けも終え、感謝をしながら窯口を閉めた炭焼き窯は、ようやく元の佇まいを取り戻した。この「炭焼き」を終えると、私の心の中では、いつも「春のスイッチ」が入るのである。