2016年1月9日土曜日

初山遊びは、安全祈願と炭焼き準備から始める



 今日が今年の山遊びの初日。海抜350mほどの山頂まで登り、お神酒を捧げ、2拍2礼1拍。クラブ員一同で、山の神に今年の山作業の安全の祈願と遊ばせてもらう事への感謝を祈念する。そのあとは、早速土曜日から始まる炭焼きの準備に取り掛かる。今年、予定している炭焼きは2回、2月の上旬までかけて実施するのである。

 前回の炭焼きから10ヶ月ほど使わなかった窯である。窯の傷みなどは既に点検を済ませているが、湿った窯の予備乾燥、木酢液の回収装置の設置と点検、炭焼きで使ういろいろな道具や温度管理の計測機器などの点検、砂の採取、そしてなによりも、窯木、バイタ、薪が2回の炭焼きを十分賄うことができるかを確認し、仕分けをする。


 我々の焼く炭は、「備長炭」に代表される白炭ではなく、黒炭である。しかも、焼いた炭の木口に現れる放射状の割れ目模様が、美しい菊の花を思わせる模様になるところから、「菊炭」と呼ばれている炭である。古来、太閤秀吉の頃から茶会で重用されているという。材料は「クヌギ(椚、櫟)」。「クヌギ」だけが、このような美しい菊の花の模様になるのである。下の写真はNETより拝借したものであるが、こんな美しい菊炭をいつも焼けるようになりたいと思うのが、私の本音であり、願いでもある。
   
   

 しかし、典型的な日本の里山風景とも言われる「クヌギ林」は、この地域でも、かって炭焼きを生業としていた里の近くの山にしか見られない。「クヌギ」の原産地は、日本(本州~九州)、中国、朝鮮南部と広い地域にわたっているにもかかわらずである。我々の活動する公園に隣接する山でも、自生しているのは、ほとんどが「コナラ(小楢)」で、「クヌギ」は見当たらない。そんなところから、もともと日本の山には自生していなかったが、炭を焼くために中国、朝鮮半島あたりから持ってきて、植林したものではないかという説もあるのである。

 必ずしも明確な根拠が示されているものではないらしいが、次のような説を聞いたことがある。
『クヌギは外来種であり、約1200年ほど前、「弘法大師」が炭焼き技術を中国大陸から持ち帰ったときに、一緒に持ってきたもの。 そして、この地域に残るクヌギ林も、元々は炭焼きのため、古くから人の手で植林されたものである』という説。

 この辺の地域の特徴や歴史を当てはめてみた素人考えではあるが、クヌギ林が炭焼きを生業とする里の近くだけに存在すること、炭焼き窯の窯床と煙道とをつなぐ孔を「弘法の孔」とよぶこと、更にこの地域一体は、奈良の大仏鋳造の際に必要な銅を産出したとも伝えられる「多田銀銅山」の鉱脈が走っている地域であり、銅の精錬には大量の炭が必要であろうことから、「弘法大師」は別としても、先の説にも一定の説得力があり、うなづけるのである。

 いずれにせよ、かっては立派な里山だったが、1960年代の燃料革命を契機として、次第に「クヌギ林」が放棄され、さらにダム建設により、放棄が決定的になった里山には常緑広葉樹が勢力を拡げ、かっての里山としての機能が失われてしまった。その林を、「クヌギ林」として蘇らせ、古来からこの地域の特産であった「菊炭」を焼く炭焼き技術を伝承しようとする我々の活動のメインの行事、炭焼きが今年もまた始まったのである。

 昼過ぎまでかかって、点検・準備を終え、土曜日からの炭焼きにワクワクしながら山を下りる道筋、ダム湖には雪混じりのにわか雨が降り始めた。


  

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