2012年7月1日日曜日

「手を入れる」ということ



 今日は、クヌギ育成林の手入れ。日当たりのいいところにはびこってしまう外来種、「ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)」の駆除を行う。炭焼きのために、クヌギを伐採した斜面に、「クサギ(臭木)」といっしょに繁茂している。大きくなると高さが2mを超えて、まるで「木」のように見えるが「草」なのである。

 「ヨウシュヤマゴボウ」は、名前の通り、北アメリカ原産で、日本では明治時代初期以降、各地で雑草化している帰化植物である。茎は無毛で赤く、葉は大きく、根はまさに牛蒡か自然薯のよう。この時期に可憐ともいえる小さな白い花をつける。

しかし、この「ヨウシュヤマゴボウ」、これが厄介なことに、まず、有毒植物で、全体にわたって毒があり、果実も有毒であり、乳幼児には触れさせない方がいいと言われている。そして、さらに厄介なことは、球根とは違い、根が増えて繁殖する「宿根草」なのである。地上部の茎・葉が枯れても、地中の根は枯れずに生き残って、次の年に暖かくなったたらまた芽が吹く。

 従って写真のように、丈は小さくても根っこが深く太く、また縦横に張っているので、駆除するには鶴嘴(つるはし)などで根を掘り起して切断するしかない。こうなるともう人海戦術である。花が咲く前に駆除したかったのだが、都合で延び延びになってしまった。1時間半ほどで500本を超える「ヨウシュヤマゴボウ」を駆除したが、まだ残っているものはまた次週。

 とにかく森の手入れは、絶対的に人手が必要。人海戦術である。人の手が入らなかったら、見る見るうちに森や山は荒れてしまう。家や庭、機械、道具などと同じである。「まったく人の手が入らない手つかずの自然がいい」という原生林・原始林指向の考えがあるが、間違いである。もちろん、一部に原生林が必要なことは認めるが、人が楽しんだり、かかわったりする森は特に手入れが必要なのである。森が多様性豊かで、人に心地よさを与えつづけためには、森に最小限の整備が必要であるという事であり、人の手が入るということは、必要ならば木を切る、伐採をするということである。木そのものは、個々には何もしなくても勝手に育つかもしれないが、ある目的を持った空間としての森には何もしなければ、育たないのである。

 日本の国土の70%近くが森林。古来から森を大事にしてきたことから、日本人には木を切ることへの抵抗感や誤解があり、最近は一般の人と森林ボランティアとのトラブルも多いと聞く。そして、その日本の森が荒廃の危機に瀕しているのだ。


 一旦家に帰ってから、買い物ついでに長谷の棚田へ寄ってみる。この美しい景観を形作っているのは棚田、里山。私などは時々眼を休めに遊びで来るだけであるが、地元の農家にとっては生活そのものなのである。最近、休耕田も増えているようだが、この景観が維持されるために、どれだけの手間や人手がかかっているのか、ちょっとだけ思いを馳せてみた。
  

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