2013年1月15日火曜日

待ちに待った炭焼きの三日目は ・・・


 首都圏は大変な雪とのニュース。我が地方は大雨、所によっては大雪という天気予報であったが、朝起きてみると、冷たい雨が結構激しく降っている。そして寒い。

朝食もそこそこに恐る恐る山へと向かう。焚き始めた炭窯はもう止めるわけにはいかないのだ。みぞれ混じりの雨であったが、積雪も凍結もなく、何とか到着できた。京都方面から来た仲間は、道路がシャーベット状になっており、怖かったらしい。向かいの山の頂上付近は冠雪しており、雪と雨のラインがくっきり分かれているのが分かる。


 さて、三日目。今日の炭焼き作業は、窯内の温度や状態を推定し、明日の「くどさし」と呼ばれる空気を遮断して、これ以上の燃焼が進まないようにする重要なタイミングをコントロールための作業を行う。我々はプロではないので窯につきっきりという訳にはいかない。できれば明日の昼ごろに「くどさし」の作業を終えたいのである。そのため、窯口や排煙口の温度を1時間おきに測り、煙の出かたや色を観察し、また木酢液の溜まり具合などから、どのくらい熱分解=燃焼が進行しているかを推定する。みんなの意見からすると、燃焼の進行がかんばしくないようである。午後4時、空気調節口を全開にすることを決め、明朝の窯の状態を見てから、「くどさし」の時間を決定することとした。作業を終え、山を下る頃には、雨もすっかりやみ、雲を通して薄日もさしこみ、ダム湖の湖面に映える光景がこよなく美しかった。

  
  

2013年1月14日月曜日

待ちに待った炭焼きの二日目



 二日目 ・・・。ただひたすらに火を燃やす一日である。例年、約8時間ぐらい燃やす。

 朝9時に集合。古式の則り、火打石による点火からこの日の作業が始まる。今回は先達の方に点火を行ってもらったが、実は私はその先達から教えてもらい、「マイ火打石」を持っているのである。次回ぐらいからは私がやってみようかとも思っている。
  
  
  
  
  

 日本における「火打石」の歴史は古く、「古事記」において、「倭建命(やまとたけるのみこと)」が叔母の「倭媛(やまとひめ)」から授かった袋に入った火打道具を用いて、富士の裾野で襲い来る敵から難を逃れた話がよく知られ、また「養老律令軍防令」においては、兵士50人ごとに「火鑽(ひうち)」1具と「熟艾(やいぐさ)」と呼ばれるモグサなどで作った火口1斤の携帯を義務付けたという記述があるという。

 炭を作る原理は単純で、「木-煙=炭」が基本である。従がって、木から水蒸気、セルロースなどを熱を加え、煙として取り除けば、炭ができるという理屈である。だから、いったん火をつけたら、あとは窯内の温度を、窯木が自然に熱分解を起こす温度の600度程度に上がるまで、ただひたすらに火を燃やす。窯木を燃やして炭を作るわけではないのである。窯内がその温度に達したかどうかは、窯内の温度を測ることができないので、煙突や窯口から吹き出す煙の色、窯口の炎の状態、温度などで判断するのである。


 600度程度に窯内の温度が上がったと判断したら、空気を供給する空気調節口のみを残して、薪の供給を断ち、窯口をレンガと粘土で遮蔽する。これで窯木は、窯内の温度で熱分解が進行する、いわば蒸し焼き状態となり、熱分解をさらに進行させて、完全に炭素部分のみが残り、炭へと至るのである。窯口で火を焚くのが約8時間程度の比べ、蒸し焼き状態にしておくのが、約1日半」、36時間であるから、窯木を燃やして炭を作るのではないということが理解していただけよう。窯口の熱い温度に耐えながら、レンガを積み、粘土で固めていく。まさに「3K作業」である。これでこの日の炭焼き作業は完了。

 作業の合間を縫って一般の体験参加者に山の手入れや里山、クヌギ再生林などについて説明するために、自然観察路を歩いていたら、もう「コブシ(辛夷)」の花の蕾が大きく膨らんでいるのに気がついた。今年は、少し開花が早そうである。


  

2013年1月13日日曜日

待ちに待った炭焼き始まる

 いよいよ待望の炭焼きが始まった。

 第一回目、一日目は神事から始まる。窯口に飾り物を飾り、お神酒をあげ、二拝二拍手一拝。これから二ヶ月にわたる炭焼き作業の安全と、よい炭が焼けるようにと山の神に祈って窯を開く。

 「炭焼き体験教室」も兼ねているので、今回は8名程度の一般参加者、同じ公園に所属する他クラブの参加者、炭焼きを受託している我がクラブの参加者を合わせて30人程度の規模で行う炭焼きとなる。

 菊炭と呼ばれ珍重された一庫炭(=池田炭)の歴史、この公園で炭焼きを行うようになった経緯、炭焼き工程、注意事項の説明などを参加者に行い、その後実際の作業を体験してもらう。実際の作業と言っても、クヌギ再生林の手入れ、伐採、窯木づくりなどの体力勝負の大変な作業の大半は、我がクラブの日常活動の中ですでに終えているので、最後のわずかな工程の部分を体験してもらうだけである。


 クヌギ林で窯木づくりや「バイタ」と呼ばれる柴木を束ねたものを作ってもらう作業をし、窯口近くまで炭の材料となる窯木とバイタを運ぶ。窯は直径約2m、3㎡ちょっとの広さであろうか、そこに手渡しをしながら、窯内に窯木と「バイタ」とを一緒にぎっちりと詰める。優に300本ほどの窯木が入ってしまう。予備乾燥を施して一日目の作業を終える。

 炭の薫り、薪からあがる煙の薫り ・・・。変わっていない。すべてが1年ぶりで心地よい。待ちに待った炭焼きが始まったのだ。
  
  

2013年1月11日金曜日

初・山遊び



 山遊びの初日である。ボランティア仲間全員10人が顔をそろえる。皆、待ちかねたような顔つき。まず標高350m程の山頂までゆっくりと登る。毎週登っていたのに、2週間程空けるともう体が重い。70歳代半ばの長老?もしっかりと後をついて登ってくる。山頂の標識にタッチし、今年の山遊びの無事を願う。

 各自、雑木を2、3本ほど「初伐り」をし、鋸の切れ味と伐る感触を確認する。ひとしきり軽めの作業で遊んだ後は、この週末から始まる炭焼きの準備のため下山する。

 そして、下山の道すがら、あたりを見渡せば、この山に自生している柿は、まだその実を鮮やかな赤のままで残しており、野鳥たちの貴重な食料となっているようだ。

 こんな風に、今年の山遊びもまた始まった ・・・。
  
  

2012年12月26日水曜日

炭焼き準備終わる ・・・

 
年が明けてからの炭焼きの準備が大方終わった。写真のように、見事にクヌギの伐採が終わり、伐採されたクヌギは玉切りや枝打ちされ、その長さを80㎝程度に揃えられる。そして、太さ毎に区分けされ、炭材となる窯木として積み上げられる。山に積み上げた分と併せて、ほぼ3回分の炭焼きができるくらいの量が確保できたであろうか ・・・。

 伐採された斜面や積み上げられた窯木を見て、美しいと感じてしまうのは、私がもう十分と山に馴染み、山の手入れや炭焼きから離れられなくなった証拠である。殆ど炭焼きの準備が終わった。後は年が明け、本番を待つばかりである。
  
  

2012年12月14日金曜日

ちゃんと学ぶ事も大切と知る

 (写真;私が遊ばせてもらっている一庫公園の知明山とダム湖)
里山の調査と管理の手法を学ぶ2回目の講義と実習を受けた。我々ボランティアが、森の手入れと称して遊ばせてもらっている、かっての里山での実践学習である。ボランティアとしてずっと森の手入れをしてきたが、その理念、目的、手法といった面に関しては、理論的にはっきり確立したものがなく、今のやり方で森の手入れを続けていくならば、きちっと筋立てしたいと思って、公園にお願いして開いてもらった講座である。


 前回は、里山に関するおさらいと「植生調査」の実習。手入れがまだされていない林の中に、10m×10m=100㎡の区域を設定し、その中に生育している木の種類、数を調査するのである。その結果分かったことは、「ヒサカキ」が多く、林内は暗く、生育している木の種類が少ない。照葉樹林化しているため、このまま放置すると夏緑樹がほとんど消滅してしまうのではという日頃漠と感じていることが、データ―でも裏付けられた。そして、我々が手入れをしている里山森の手入れの方向性である、「コナラ」や「アベマキ」、「ネジキ」など夏緑樹の高木を保全し、種多様性や景観を阻害する照葉樹、ツル植物などを伐採するという、いわゆる「兵庫方式」が里山保全の方法として、間違っていないということも確認できた。

 そして今回は、先に設定した区域内の照葉樹、ツル植物などを皆伐するという作業。ヒサカキ125本、アセビ16本、ソヨゴ2本、イヌツゲ4本などを伐採した。上の写真は、伐採後、木漏れ日が地面まで差し込むようになり、すっかり明るくなった設定区域である。そして、1年後あるいは2年後、5年後、この区域にどれだけ新しい種が芽生え、森の様相がどのように変化するのか、ふたたび調査して手入れの効果を確認する予定である。やはり、このように、ちゃんと学ぶ事が大切で、そのことが今やっていることの方向性の正しさを裏付けるという共通認識を持つことができたいい機会であった。

 伐採した「ソヨゴ」のてっぺんには、何の鳥が分からないが、放棄された鳥の巣跡が ・・・。そんな発見もあって、今回の学習も楽しく終えることができた。
  
  

2012年12月10日月曜日

クヌギ伐採、炭の原木づくり始まる


 いよいよ菊炭の材料となるクヌギの伐採が始まった。我々が焼く炭は備長炭に代表される「白炭」ではなく、「黒炭」。昔からこの北摂地域の名産品の「菊炭=一庫炭あるいは池田炭」である。クヌギを原木としたこの黒炭は、切り口がちょうど菊のように見え、美しいので「菊炭」とよばれ、また火付きや火持ちがよく、煙も出ず、弾けることもなく静かに燃えるので、茶の湯の席では「太閤秀吉」の時代からずっと今まで重用されているという。かっては多くあった炭焼き農家も、時代の流れとともに少なくなり、今ではこの近辺では1軒だけが炭焼きを生業としているのみである。そして、ダム建設によって放棄されたクヌギ林の里山を、再生林として手入れをし、口幅ったいが、「炭焼き技術の伝承」と称して、我々ボランティアが中心となって、毎年1月から2月に炭を焼いているのである。

 そのクヌギの伐採が始まったのである。先輩たちが炭を焼き始めてから約10年ほど経つが、まだ再生林の台場クヌギは、その再生サイクルが完結していないため、今年も樹齢数10年を超える太いクヌギを伐採しなければならない。そのため伐採はプロにお願いし、玉切りした原木(窯木)の処理の段階から我々ボランティアの仕事が始まるのである。3人のプロがチェーン・ソーによる伐採。鮮やかなものである。見事、あっという間に予定の30本ほどのクヌギが伐採された。さて、これからは、玉切りされたこの窯木を下まで降ろし、太さ毎に選別し、枝は枝で窯木や「バイタ(木の枝や木切れ、たきぎ)」づくりをするという、時間と人手がかかる我々の仕事が待っているのである。さあ、本格始動だ!!

  

2012年11月28日水曜日

炭焼き始動 !


1月からの炭焼きに向けての活動がスタートした。炭焼き計画の立案、スケジューリング、炭焼き窯の補修、整備と炭焼き準備を進めてきたが、いよいよ具体作業がスタート。

  まずは炭の材料になるクヌギを伐採する作業が順調にはかどるための林床整備という伐採準備作業から始める。台場クヌギは伐採しても、残った切り株から芽が吹き出し、8~10年位で再び炭材としてちょうど手ごろな太さに成長する。そんな台場クヌギの特徴から、長期的な計画に従って、伐採エリアを決めて8~10年サイクルで伐採を繰り返していくのである。一般的には皆伐、決められたエリアの木はすべて伐採してしまうのであるが、ここは公園のため、当然残しておかなければならない木もある。クヌギの伐採作業そのものはプロに委託するのであるが、伐採前にどの木を切るのか、どの木を残すのかを決めて、マーキングするとともに、伐採しやすいように細い雑木などを伐って、林床整備を行う。

 急斜面での結構大変な作業であるが、10人の山の手入れのボランティア仲間が打ち揃ってのスタートである。安全帽(ヘルメット)を被り、腰に手入れ道具の帯を締めれば、いざ出陣、いやがうえにも気合が入るというもの。これからほぼ3ヶ月炭焼き三昧の日々が続く。
  
  

2012年10月19日金曜日

鳴く鹿の ・・・

(写真;炭焼き窯跡の前で)

 今日も小学1年生の自然体験学習のお手伝い。メニューは前回と同じウォーク・ラリー。この時期に実をつける木の名前や、この山に住む動物、昔里山として利用していたころの炭焼き窯の跡を探したり、どんぐりを採集するというメニュー。それは、無事終わったが、実感として、考えさせられたことがあった。前回は大規模住宅団地にある小学校1,2年生で165名、今回は大阪北部、農村地域にある小学校の1年生で、3校合わせてもたったの23名。農村の過疎化と少子化の実態が顕著に顕れているのである。この地域は隣接していて車で走れば、10分か15分の距離なのである。ずっと前から言われているように、農業問題、過疎化問題、都市問題、少子高齢化、地方分権 ・・・ 全てが根っこで繋がっている政党を超えた政治課題。早く政治が動かねば ・・・。この子たちの未来なくして、国の繁栄などあり得ない。前夜見たIMF専務理事ラガルドさんがでていたNHK「クローズアップ現代」に共感。

 しかし、爺さんの心配なぞよそに、子供たちは元気である。前回の住宅団地の子供たちより、間違いなく逞しかった。そして、きょうもまた、「生」鹿が、子連れと思われる3頭で、我々を迎えてくれた。しばらくの間、こっちをじっと見ていたが、「ピュイ~」と一声鳴き、警戒音を発すると、森の奥へと消えていった。

  奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき   (よみ人知らず 『古今集』から)
   
  

2012年10月16日火曜日

炭焼きの準備を始める

(写真は補修前の炭焼き窯)


 炭焼きの季節が近づいてきた。年が明ければ、炭焼きが始まる。「えっ、もうこんなに早くから準備するのか?」と言われれば、「イエス」である。12月の初めには、炭の材料となる「クヌギ」や「コナラ」を伐採し、一定の長さに切りそろえ、山から降ろして、しばらく乾燥させるという「窯木づくり」という材料の準備を終えなくてはならない。そしてその前には、伐る木、伐らない木の選別、それとクヌギ林の林床整備を行わなくてはならない。こうやって逆算していくと、10月には実行計画の立案、11月からは作業の開始というスケジュールになってしまのである。そしてもう一つ大事な作業が、炭焼き窯の点検と補修である。何せ1年のうち、2か月だけしか炭焼きはせず、後は放置されているのである。しかも、炭焼きの時、窯の中の温度は800度とか1000度近くにさらされるのだ。当然メンテが必要なのは言うまでもない。ちゃんとメンテすれば、窯は100年持つといわれている。


 半年ぶりに窯内に入ってみた。この窯ができたのは10年ほど前である。窯の壁はこの山の赤土、いわゆる粘土で作られているが、10年もの使用でだいぶ壁が剥がれてきている。山から赤土を掘って運び、それを篩(ふるい)にかけて細かくし、少量のセメントと水を加え、こねる。それを壁の剥がれた箇所に埋め、鏝(こて)で丁寧に仕上げていく。立つこともままならない狭い窯の中の作業である。約1時間の作業を終えるともう膝はガクガクの有様。外壁部の石組みや頭頂部の補強、窯口周辺の補修も無事に済み、後は養生をして、炭を焼く日を待つばかりである。

 この地域は、太閤秀吉の時代から、茶の湯に使われる最高級の黒炭、「菊炭」の産出地として有名である。炭を使う生活や文化が段々すたれていく中で、遊びの山のクヌギ再生林を手入れし、菊炭を焼く技術を伝承していくのが我々ボランティアグループの活動の目的の一つとなっている。これだけの苦労を掛けて補修したのである。いい菊炭が焼けてもらわないと困るのである。我がボランティア・グループの一大行事、里山文化である「菊炭を焼く技術の伝承」として行っている炭焼きの準備の一つを終え、炭焼きの季節へスタートを切る。