2014年1月13日月曜日

炭を焼きながら



 第2回目の炭焼きが始まった。今日は窯内の温度を上げるため、朝からただひたすらに窯口で、薪をくべ、火を焚く一日。8時間以上も ・・・。そして、その作業の間をみて、炭焼き体験参加者に「七輪」での炭の熾し方を学んでもらう。窯口の炎も美しいが、この「七輪」で熾った炭のえも言われぬ赤も美しい。昔はどこの家にも「七輪」があり、湯を沸かしたり、物の煮炊きに使っていた。山の仲間は火力も強く、火持ちがいいため、黒豆を炊いたり、日常的に使っているという。もちろん、我が家にも「七輪」はあり、震災などの非常用の熱源として準備している。

 そして、来年の炭焼きに向けて準備しなくてはならないものがある。それは、「薪」である。炭焼きの出来の良し悪しを左右するのが、どれだけ強い火力を得られるかにかかっている。そのためには、1年近く十分に乾燥させた良質の薪が必要なのである。今回の炭焼きで2年ほど前に用意した薪は全て使い切ってしまう見込み。従って、来年用の薪を用意しておかねば炭焼きができないのである。そこで合間を縫って、玄能と楔、あるいはマサカリで、窯木には太すぎて使えないクヌギの玉木を割る。これが意外と重労働なのであるが、まあ、ゆっくりと楽しめる範囲で薪割りに精を出す。これも、子供の頃親父と一緒にやったもんだ。

 古来、炎の赤は人を妖しくするといわれる。私は決して妖しくはならないが、じっと炎を見ていると、魅入られてしまったのか、ぽかっと頭の中が空白になり、時を忘れたような瞬間は確かにある。だから魔術やマジックには炎がつきものなのかもしれない。
  
  

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