2016年7月31日日曜日

どんな味? マンゴーみたいな味です


 久しぶりに山頂まで上がり、付近の間伐を行う。汗だくで上がってきたが、木漏れ日が目にやさしく、上昇気流による湖面からの風が心地よい。うるさいくらい蝉が鳴いているが、目立って聞こえるのは「ミンミンゼミ(ミンミン蝉)」。我々の住宅地と違って、まだまだ「クマゼミ(熊蝉)」に覇権を奪われてはいないようだ。ひとしきり伐採作業を続けて、この暑さの中、早々に山を下る。この公園に多く植わっていて、初夏に目を楽しませてくれた「ヤマボウシ(山帽子、山帽子)」に実が付いてるのに気がついた。秋になると、赤く熟れたあの味を想像してしまう。どんな味かって? マンゴーみたいな味です。
    

2016年7月26日火曜日

夏休みが始まって ・・・


 夏休みが始まった。公園にもたくさんの子供たちがやってくる。人気のお目当ては、丘の流れでの水遊びと虫取りのようだ。今日のイベントは、ペットボトル・ロケットを作って飛ばすという、これも人気のイベントのお手伝い。午前中に作ったロケットを午後に発射するのだが、イベントに参加した家族はもちろんだが、広場に訪れていた多くの家族連れからも大歓声が上がる。


 そして、普段はあまり人が来ない自然観察林、ここは我々の遊び場、森の手入れをする作業現場でもあるのだが、そこでも捕虫網を持った子供たちとお父さんに出会い、「クワガタムシ(鍬形虫)」、「カブトムシ(甲虫、兜虫)」の居場所を聞かれる。「バッタ(飛蝗)」、「トンボ(蜻蛉)」、「セミ(蝉)」などは簡単に捕獲できるが、カブト、クワガタとなるとそうはいかない。日中は難しいが、それでもいそうな場所を教えてやるのも、我々森林ボランティアの役目。
   

2016年7月18日月曜日

自分で打った麺で冷やしぶっかけを作り、涼を味わう

 
 今日は月一の子供たちとのイベントの日。メニューは定番の木工細工と手作りの冷やしぶっかけ饂飩である。梅雨明けやらず、朝方はまだ小雨の残る中、4家族ほどが参加した。いつもの木工細工の後は、子供たちも自分で打った麺で冷やしぶっかけ饂飩を作り、涼を味わう。
 


 レシピも作り方も至って簡単。厚さ0.3mm程度のやや丈夫目のポリ袋に200g(2人分)の中力粉と90cc(梅雨時は87cc)の水、さらに塩少々を入れ、袋を風船状にして粉と水がフレイク状になるまでシェイクする。空気を抜いてしっかりと捏ねる。袋から取り出し、綿棒、片栗粉で薄くのばす。(厚いと麺が太くなり、茹でる時間がかかる)包丁あるいは道具で裁断する。これで手打ち麺はできた。


たっぷりのお湯で茹でて、茹で上がったら水で締める。トマト、ゆで卵、きゅうり、ハムなどをお好みのものをトッピングし、ぶっかけの出汁をかければ、涼味満点の冷やしぶっかけ饂飩の出来上がりである。プリプリの腰の強さに子供たちもびっくり。
  

2016年6月24日金曜日

再びの宣戦布告? ~ これからは神経戦に ~


 ワークショップのすぐ目の前で鹿が葉を食べている。いわゆる「鹿の子模様」の夏毛と特徴である白い「尻班(しりはん)」がはっきりわかる。少し小ぶりなところからすると、昨年生まれた子鹿であろうか。一般的に、鹿は母子グループで行動するようだが、この時期は年に1回の出産時期。そのため子鹿が単独行動をとっているのかも。まったく人を怖がる様子もなく園内を闊歩している。ちょうど居合わせた家族連れに教えてあげると、「可愛い!」といってスマホで写真を撮っていた。


 しかし、私たちにとっては、この可愛い鹿も、シビアないたちごっこの攻防を繰り返している天敵である。今日も、つい先週補修したばかりの鹿除けネットの同じ箇所が破られていたので、修理を終えて帰ってきた矢先の遭遇である。数年前まではクヌギの若葉を丸坊主にというようなことはなかったのであるが、鹿は母子グループで狭い範囲で行動し、排他性も弱く群れるので、天敵がなければ、瞬く間に高密度になるという。一頭あたり一日約3kgの食糧が必要というから、異常に高密度なってしまった公園の鹿たちも、背に腹は変えられず、奥から人間のエリアまで出てきたということであろう。


 この時期かれらの一番好きな若葉のあるクヌギ林へと続く「けものみち」を遮断するようにネットを張っているから、シビアな戦いになるのは覚悟の上である。駆除できない以上、もう単純にネットを張るだけの攻防ではなく、鹿の嫌がることを徹底的にするという神経戦の段階に突入した。しかしこれまでは連敗。勝機は見いだせるのだろうか。
   

2016年6月9日木曜日

ナラ枯れはピークを越えたか



  今年もまた「ナラ枯れ」対策を始める。「ナラ枯れ」とは、「ナラ菌」というカビの仲間の病原菌と、その病原菌を媒介する「カシノナガキクイムシ」という体長5㎜ほどの昆虫によって、ナラ類、シイ、カシ類の樹木を枯らす「樹木の伝染病」である。「カシノナガキクイムシ」は、病原菌を体内に入れて運び、夏から秋に樹木に無数の穴をあけ、卵を産み付け、翌年の6月にその幼虫が羽化し、また新しい樹木に卵を産み付け ・・・といったことを繰り返すのである。ナラ菌は孔道を伝わって蔓延するため、水分が上がらなくなり、真夏から晩夏にかけ急速に葉が萎れ、茶色や赤茶色に枯れてしまう。1本の木から数万頭が羽化するといわれ、一度罹ると、その森には爆発的に被害が拡がるという。我々は、幼虫が羽化し、被害木から飛び出すまえに、捕獲するため、「アース製薬/かしながホイホイ」という、粘着シートを被害木に巻くという対策を取っている。


ここ3年ほど実施した結果、枯死にまで至る「コナラ(小楢)」、「クヌギ(椚、櫟)」、「アベマキ(棈)」は、被害木全体の1割にも満たなく、ほとんどないといって良かった。結構耐えてくれるものである。「カシノナガキクイムシ」の群れも、六甲山方面へ移動したという情報もあり、この秋の被害木の状況を見ないと断言はできないが、ピークを越えたようであり、そう神経を尖らせなくても良さそうである。

とはいえ、特に目立つ尾根筋の観察路の周辺の被害木に、粘着性のシートを巻くという今までどおりの対策を施すことにして、被害木の詳細な調査は割愛することにした。ちょうど地元での仕事体験教育の「トライやるウィーク」で来ている中学生にも手伝ってもらい、先週今週併せて30本近い被害木に対策をした。

満開の「ヤマボウシ(山帽子、山法師)」ももう終わりである。


 樹木が枯れて、新しい芽が出て、大きな木に育っていく。その永遠の繰り返しで、形作られた森が続いていく。そのバランスがうまく取れ、サイクルが回るように手を添えてあげるのが、森林ボランティアの働きだと思っている。植物が枯れることを、人と同じように英語で「die」というが、この山で、芽を出し、育っては枯れる。それを繰り返していった気の遠くなるような時間を思う。
   

2016年5月27日金曜日

明日のためにクヌギ苗100本を植える




 遊びの山の「クヌギ(椚、櫟)」の再生林がちょっと危機的状況になってきたため、植樹を計画し、そのための穴掘りを先週の活動で行った。

 ある会社のCSR活動の一環としていただいたクヌギ苗100本を早速植えた。2年ものだというが、1.5m~2mほどの立派な苗である。先週掘ったクヌギ再生林の斜面の穴に、この公園で得られた腐葉土を入れ、丁寧にクヌギ苗を植えていく。1時間半ほどで植樹完了。本日の天気予報は午後から雨。いい塩梅である。

 10数年後には、立派なクヌギに育って、我々の後輩たちが見事な菊炭を焼いてくれると期待したい。まだまだ鹿の食害などで萌芽しなくなったクヌギも多い。しばらくはこの活動も続けていこうと思う。

2016年5月16日月曜日

先人たちの窯跡が ・・・


 間伐作業の傍らにあったのが、炭窯跡。窯本体は崩れてしまっているが、煙突の形がしっかり残っている。山中には至るところに炭窯跡が残されているが、クヌギ林の近くに簡素な炭窯を作り、そこで炭を焼くというのは先人たちの知恵でもある。窯木は炭にすると、体積で6割、重さで3割に減少する。軽トラなどなく、全てが人力に頼っていた時代。できるだけ運びやすくして麓まで下ろしたのである。また炭窯は共有で、誰が使ってもよかったと聞く。

 煙突の内側には、黒い煤の跡もしかっり残っている。ちょうど窯口のあたりに生えている一抱えもある「コナラ(小楢)」から推測すると、その「コナラ」が生える前、数十年前に放棄された窯であろう。ちょうど化石燃料や電気・ガスへの利用が進んだいわゆる「燃料革命」の時代、1960年代であろうか。崩れ落ちるのも、時間の問題であるが、少しでも先人の足跡を長く残そうと、窯跡の整備も行った。   

 死語ともなってしまった「炭」、「炭焼き」。そんな「炭の文化」を、今私たちが山の手入れをし、炭焼きをして、引き継いでいる。この朽ちた炭窯、誰が使っていたのかはわからないが、時を超えた縁を感じ、煙突孔に触ってみると、ここで炭を焼いていた人たちの思いが、温もりとして伝わって来るような感じがした。
 
 林の中で、あれほど華やかに咲いていた「モチツツジ(黐躑躅)」も、もう終わりである。


2016年5月12日木曜日

山師たちの道標



 遊びの山の山頂付近。咲く白い花は、「ハクサンハタザオ(白山旗竿)」。その脇に茂る「シダ(羊歯)」の仲間は、別名、「金山草(かなやまそう)」ともいわれる、「ヘビノネゴザ(蛇の寝茣蓙)」である。どちらも重金属を蓄積する奇妙な植物で、金・銀・銅山などの露頭や鉱床にはつきものの植物。いわゆる「山師」といわれる金属鉱脈を探す昔の人たちは、経験的にこれらの植物を道標(みちしるべ)、指標植物として利用していた。

 「ヘビノネゴザ」は、銅と鉛を主として集積する性質があることが近年わかってきたが、植物の種類や部位によって、蓄積される金属の種類も異なるという。


 北摂には、我が遊びの山、ボランティア活動のフィールドとしている一庫ダムの「知明山(奇妙山)」を中心として箕面市、池田市、川西市、宝塚市、能勢町、豊能町、猪名川町の4市3町にわたる東西20km、南北25kmの広大な鉱山地帯が形成されており、この地域一帯には、「多田銀山」に代表されるように、全部で2800余の「間歩(坑道)」が残っているという。

 「知明山」のある一庫公園園内にも間歩が残っており、昨年、「エドヒガン」群落とともに川西市の天然記念物に指定された。

 同じ鉱脈の延長にあり、隣町に残る「多田銀銅山遺跡」は、江戸から明治に至るまでの鉱山のあり方や産業技術史を考える上で重要とその価値を認められ、平成27年6月、国に国史跡指定とするよう答申された。また、この遺跡には、「豊臣秀吉」の埋蔵金伝説が伝わっており、ここに住み着き、家庭も定職も持たず、37年間地底でひたすら黄金を探しの夢を追って生涯を終えた男がいた。

 かって男たちを一攫千金の夢に駆り立てたかもしれない間歩の跡を横目で見ながら、山作業に勤しむ春の一日 ・・・。
  
   

2016年4月19日火曜日

これも桜の仲間です


 「ウワミズザクラ(上溝桜)」が咲きだした。試験管を洗うブラシのような形をしているので、一見ちょっと桜には見えないが、「バラ科ウワミズザクラ属」の落葉高木。 地味ではあるが、れっきとした桜の仲間である。和名は、古代の「亀卜(亀甲占い)」で溝を彫った板(波波迦)に使われた事に由来するという。この山では、よく似た「イヌザクラ(犬桜)」がちょっと遅れて咲くが、この桜が散ると黄金週間(ゴールデン・ウィーク)である。


 昨年暮れに伐採した「クヌギ(櫟、椚)」の根元から新芽が萌芽している。一番の大敵は鹿。鹿にやられないうちにと早速ネットを張ってもらう。花、緑、蝶、野鳥 ・・・、自然の中での作業が楽しくなる季節がやってきた。
    

2016年4月10日日曜日

山の作業は忘れて、今日はゆっくりとお花見を ・・・



 今日も上々の天気。遊びの山を活動拠点とするボランティアクラブとの懇親お花見会である。周辺を整備した「エドヒガン(江戸彼岸)」は散ってしまって、いま、そこのの主役は、この山にやはり多く自生している「ヤマザクラ(山桜)」である。いつもは山作業をするため、目的地へと急ぐばかりであるが、今日は作業は一切忘れて、ゆっくりと花を楽しんで回る。「ヤマザクラ」といっても、咲く時期や色、花の大きさなど微妙に違っているのに気がつく。そして、見なれない名前の花も目についた。

 そんな見なれない桜に似た花の一つは、バラ科の植物で、「ザイフリボク(采振木)」。別名「シデザクラ(四手桜)」とも呼ばれる。4~5月頃に白い花を咲かせるが、細長い花弁をつけた花が「采配」に似ていることから、「采振り木」の名があるという。
 

 「ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)」。「ウメ」という名を持つが、バラ科サクラ属の落葉低木の果樹。「サクランボ」に似た赤い小さな実をつけるが、この実で作った梅酒が絶品であると先達は言う。


 「コバノミツバツツジ(小葉の三ツ葉躑躅)」。山頂近くには群落もあるが、林の中で見る淡紫色の花の色には、本当に魅了される。ビオトープには、なんの種類かはわからないが、この時期なら「ヒキガエル」でしょうか、夥しい数の「オタマジャクシ」が群れている。

お花見を終わって、もちろんそのあとは楽しみは、お弁当。